新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

和本の謎を解く

久しぶりにブログを書きます。金曜日から多忙でブログを書くことができませんでした。ところで今日は日経平均が30円ちょい安でした。

 このところ上がっていたので取りあえず一服といったところです。おじさんの持ち株でも建設株や電機株の一部が値上がりしていました。

 さて今日はずいぶん昔からおじさんの家にあった和本の謎が解けたことについて書きます。土曜日に某図書館に行って調べてきました。以前もそこで「騎馬戦 川中島の歌」の謎を解いたのです。

 おじさんの地方では騎馬戦のことを川中島と呼んでいました。騎馬戦の前に古めかしい歌を歌うのです。おじさんが小学生だった昭和20年代から平成の今でもその歌を歌っていました。その歌がどんなものか調べたのです。最後に国立音楽大学にその歌詞があることを知りました。

 そしてとうとうその歌が文部省唱歌の一つであることを確認しました。今回はおじさんの家にある明治14年に書写された和本の正体を探るためにその図書館に行きました。

 その写本は和本と言って西洋式の製本ではないのです。筆で和紙に書かれています。内容は日記のようでした。時代は文明年間です。文明年間というのは戦国時代直前です。室町時代末期と言っていいでしょう。

 よく読んでみると「吉崎」という地名が出てきます。「吉崎御坊」とも呼ばれて浄土真宗の根拠地があったところです。そこには蓮如上人がいたのです。

 蓮如という言葉が出てこないし、北陸地方の信者さんが吉崎に来たという記述などがあることから、弟子の誰かの日記だと思ったのです。

 その図書館でまず「浄土真宗 日記」で検索してみました。ところが日記と言っても全く異なったものでした。そこで地名の「吉崎御坊」で検索してみました。それでも蓮如の高弟などといった人の名前もでません。

 そこで吉崎にいたのは蓮如なので、彼に関する資料から高弟の名前が出ないか検索してみました。すると「蓮如と御文」という本の中に謎の和本の記述と似た文章を見つけました。そこで今度は「蓮如 御文」で検索してみました。

 そして、とうとう謎の和本の正体が判明しました。何とその和本は日記ではなかったのです。日記と勘違いしたのは、まとまった文章の最後の日付が書かれていたからです。

 結論から言えばその謎の和本は蓮如の「高田御文」と呼ばれるものでした。蓮如はいろいろな文(手紙文など)を書いていろいろなお寺などに送っていたのです。

 このようなものは「御文」または「御文章」と呼ばれます。一番有名なのが「白骨の御文章」と呼ばれるものです。おじさんもある法事でお坊さんが唱えるのを聞いたことがあります。

 なぜ和本の作者(書写した人・・おじさんの曽祖父)は「高田御文」を書写したのか謎です。もし興味のある方がおられたら「大系 真宗史料 文章記録編6 蓮如御文 高田御文集」を見てください。

 謎の和本と全く同じ文章を先述した本に見つけた時は、やっと謎が解けたと思いました。その図書館にはめったにいけないのですが、今度はおじさんと同じ名前を持つ旗本について調べるつもりです。

 明日は家事のいそしみます。