新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

幼児祝福式がありました。

今日は日曜日なので教会でした。今日の説教は一般の読者の方には難しいので、今日あった幼児祝福式について書きます。

 幼児祝福式とよく似たものに幼児洗礼があります。この二つは全く異なったものです。幼児洗礼というのは、文字通り洗礼を施すのです。

 洗礼を受ければクリスチャンになります。ふつうは自ら信仰を告白し、教会(厳密には役員会や長老会)の承認を得て洗礼を受けるこきるのです。

 ところが幼児洗礼は幼児の時に受けるものなのです。牧師に洗礼を依頼するのは両親ということになります。つまり幼児本人の意志ではないのです。

 それで幼児洗礼だけの人は大人になってもう一度信仰を告白しなければなりません。これを堅信礼と言います。堅信礼を受けた後はクリスチャンとなります。

 幼児祝福式は将来クリスチャンになることを目指すものではありません。文字通り幼児を祝福するものです。その根拠は聖書にあります。イエス自身が幼児を祝福した記事があるのです。

 マタイ福音書19章13節~15節までにあります。新共同訳聖書では「子供を祝福する」とサブタイトルがついています。「その時イエスに手を置いて祈っていただくために人々が 子供たちを連れて来た。」とあります。弟子たちがこんなところに子供を連れて来てはいけないと考えて、人々を叱ったところ、イエスは「子供たちを来させなさい。」と言い、さらに「天の国はこのような者たちのようなものである。」と言って「子供たちに手を置」くのです。

 この子供たちを連れて来た親たちのすべてがイエスを信じていたわけではないでしょう。ただ有名なイエスに子供を祝福してもらおうと思っただけだと思います。

 イエスはそれを知った上で子供たちを祝福したのだと思います。そういえば中国でも子供祝福式のようなものがありました。講壇に大勢の子供が聖歌隊のような服装で出て来て歌を歌いました。

 その後牧師さんが一人ひとりを祝福してお菓子のようなものを渡していました。おじさんの子供たちも次女と長男は幼児祝福式をしてもらいました。

 親にとって生まれて間もない子供を祝福してもらうのは本当にうれしいです。日本でもお宮参りなどがあります。もちろんお宮参りに真似て幼児祝福式があるわけではありません。

 少子化の時代、教会に赤ちゃんが来るのはうれしいです。教会に来る幼児もこの頃増えました。老人と若者と子供のいる教会はとても明るいです。

 明日はツマクマの所用のお供です。