新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教育と経済合理性

今日は株価が大幅に値上がりしました。おじさんの持ち株も値上がりしましたが、いつも書くようにまだまだ目標値には程遠いです。

 さてこのところ教育に関する問題が話題になっています。今日はそれについて書きます。まず新聞にも報道された生徒数問題です。今義務制学校は35人学級なのだそうですが、それを40人学級にすれば教員定数を減らすことができる。

 また学校の統廃合をさらに進めれば教育予算を減らすことができるという財務省の提案です。もちろん文部科学省やマスコミは大反対です。

 今教育の分野にも効率化の波が押し寄せています。数人あるいは数十人規模の学校を統廃合して一つにすれば、教育予算は大幅に削減できるでしょう。

 これは市の中心部に住民を集めれば効率的な行政運営ができるという考え方に似ています。おじさんはその生涯の大半を学校で過ごしたので当然ですが、教育の効率化に反対です。

 もともと教育というのは手作りで手間暇かかるものなのです。教育の目的の一つに確かに知識を身に着けさせるというのがあります。

 教育の目的は知識を身に着ける以上に人間性の育成があります。ある高校に在籍していた時ある医科大学の先生と懇談したことがありました。その先生がいうには、あなたがこの生徒なら自分を診療してほしいと思う生徒を送ってください。

 ただ偏差値だけで医科大学に送ると自分が困ったことになりますよ。コンピューターの画面だけを見て患者の話も聞かないような自分たちも困る医者が増えていますとおっしゃっていました。

 どんなに優秀な成績でも他人をいじめのリーダーになるような人間になってもらっては困ります。学校の統廃合も経済合理性でいえばよくわかります。そこで思い出すのは中国滞在中学生さんの故郷に行った時のことです。

 かっては1年生から6年生までいた小学校が今は1・2年生しかいません。3年生になると町の中心部の学校へ移るのです。ですから小学3年生から寄宿舎生活になるのです。たった9歳くらいで親許から離され集団生活を送るのは辛いと思います。

 このようになった理由は町の財政上の理由からなのです。一つの学校に集めた方が経費が安くて済むからです。もし教育に経済合理性が導入されるなら、その国の将来は暗いものになるでしょう。

 教育と経済合理性でいえば特別支援学校(昔の特殊学校 盲・聾・精神薄弱など)はお金がかかる割には全く経済的にペイしないものです。

 経済の効率化を目指す中国では特別支援学校の数は極端に少ないです。中国では障害者を町で見ることも稀でした。視覚障碍者がとても町を歩ける状態ではないのです。

 その点日本は有難いです。おじさんが子供の頃重い障害を持った子供は就学免除と言って、学校に行かなくても良かったのです。逆に言えば重度障害者を受け入れる学校がなかったのです。

 財務省の役人はすべてエリート中のエリートで、教育の本質より財政事情を考慮したのでしょう。お金を何に使うかはその人の価値観の問題です。

 財政が厳しくても教育にはふんだんにお金を使いたいものです。明日も忙ししです。