新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

高倉健さんの思い出

今日は珍しく芸能ネタです。おじさんはスポーツと芸能が全く苦手です。スポーツの方は中学1年の時バスケット部を退部して以来全くかかわったことがありません。

 芸能も子供の頃から興味がありませんでした。ところで今日のマスコミを一番賑わせたのは解散のニュースでなく高倉健さんの死です。

 大義名分もなく、自己中の解散など誰も興味ありません。安倍さんの解散声明を見ても心に響くものはありません。お蔭で声明が出たあとの株式相場は下落でした。

 おじさんも、世俗と同感で、解散のニュースより高倉健さんの逝去の方がショックでした。高倉健さんとは、ほんのわずかですが、個人的な関わりがありました。

 それはそれとして、おじさんが始めて高倉健さんを知ったのは大学生の頃でした。「網走番外地」を見たのが初めです。当時全共闘運動が盛んでしたが、全共闘のメンバーも高倉健さんのファンだったのです。

 本物のやくざから全共闘の闘士まで高倉健さんにひかれたのです。先に芸能が苦手だと書きましたが、それでけでなく、おじさんは歌を歌うのも苦手なのです。

 高校時代音楽だけ点数が足らないで追試になりました。芸術選択で何の道具もいらず歌を歌うだけで単位がもらえると思って音楽を選択したのです。

 おじさんは音痴で今でもカラオケなど大嫌いで、歌を歌うのは讃美歌だけです。そのおじさんが、覚えたいと思った歌が「網走番外地」なのです。この歌は今でも歌えます。宴会の時、仕方なくこれを歌うと、同僚の人からおじさんの雰囲気と全く違うと言われました。

 その後高倉健さんの映画を見たのは「鉄道員」です。その前に原作の方を読みました。不覚にも、読みながら泣いてしまいました。浅田次郎の作品を読み始めたのはその後です。浅田次郎もおじさんと同世代です。

 安倍さんはおじさんたちのもう一世代後です。戦後すぐの雰囲気(焼け跡)を知っているのは団塊世代くらいまでです。戦後も昭和30年代生まれの人と20年代生まれの人では思いが違うと思います。

 明日はツマクマのお供で忙しいです。