新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

学校を焼打ちした国がありました。

先日パキスタンで学校を襲撃し大勢の子供を殺す事件がありました。現代人である我々の感覚では信じれれない出来事です。

 特に教育立国を掲げる日本では特にそうです。ところでかなり前ですが、パキスタンと同じように学校を襲撃し焼打ちした国がありました。

 さてどこの国でしょう。ロシアあるいは中国、インド辺りを想像する方も多いでしょう。日本は江戸時代すでに世界一の識字率を誇っていました。

 また各地に寺子屋があって子供達が学んでいました。ところで最初の解答ですが、答えは日本です。驚く方も以前教育史などで学んだことがある方もおられるでしょう。

 おじさんがある県の教育100年史を読んでいた時に気づいたのです。明治の初め学校令が出されて各地に小学校が作られました。ところが、それまで労働力として扱われていた子供達が学校に行くことで人手が不足することになったのです。

 また学用品その他の費用もかかって、それに怒った人たちが学校を焼打ちしたのです。現代では信じられない暴挙ですし、余り名誉なことでもないので、地域でそんな出来事を伝えたりはしないようです。

 現代では学校を統廃合するとなると地域で反対運動が起こったり、学校が地域の文化センターの役割をしているところも多いです。

 そもそも明治期はじめの小学校は寺子屋を土台にして作られたところも多かったようです。義務教育なのですから、全国に小学校を作らなければならないのに校舎も先生も不足していました。それで手っ取り早くお寺を学校にしたりしたのです。

 中国滞在中、学生さんの故郷を訪ねたことがありました。その学生さんが小学生の時の校舎はお寺を改造したものだということでした。今は立派な校舎になっていますが、以前学校だったところも残っていました。裸電球一つの部屋が先生の宿舎でした。

 それでもその学生さんは村の女性としては初めて大都市の国立大学に進学し、今は日本の国立大学大学院の博士課程にいます。その村からは二度とそんな女性はでないでしょう。

 明治期の学校教育の歴史を見るととても面白いです。現代では考えられないような大胆がことをしています。おじさんが教育史を読んだ県は結構大きな県なのに、明治期のある時期予算がないということで、各地にあった中学校を閉鎖し県で3校にしたのです。

 おじさんの祖父もその時学校がなくなってしまい、今なら県下NO1の県立高校(県立中学)に通わせてくれと親に頼んだら商売人の子供に学問はいらないと言って許してもらえなかったそうです。

 今学校の安全が問題で誰でも自由に授業参観できませんが、明治期の小学校では誰でも教師が許可したら自由に授業参観ができたようです。ただ、教室でつばを吐かないようにという規則もありました。

 明治の後年になるとだんだん制度が整えられて初期のようなとんでもない規定や制度がなくなっていきます。会社も敗戦後すぐSONYやホンダのような新しい企業が続々登場しました。

 すべてが一新された時代には、現代では考えられないようなことが起こるものです。教育に関心のある方は一度ご自分の県の教育史を読まれてみると面白いです。

 どこの県でも県立図書館などに行けば備え付けられています。特に明治初期が面白いです。明日はクリスマス礼拝があります。