新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

出世争いをする弟子たちー聖書の世界も現代も同じです。

今日は日曜日なので教会です。今日も日曜恒例の教会ネタ(聖書ネタ)です。今日の礼拝説教もなかなか考えさせられるものでした。

 タイトルに書いた通りイエスの弟子たちが出世争いをするのです。聖書に出てくる人物とくにイエスの弟子たちと言っても聖人君子ではありません。

 欠けのある人間たちだからこそ聖書は現代を生きる我々の心にも響いてくるのです。今日はイエスエルサレムイスラエルの首都)へ入場する直前の弟子たちの行動です。

 いつも書いているようにマルコ福音書からです。10章32節~45節までの箇所です。イエスは弟子たちが出世争いを始めるまえに、自分の死と復活について予告するのですが、弟子たちは少しも理解してなかったようです。

 なぜなら今イエスイスラエルでは人気絶頂だったからです。行く先々で大勢の人がイエスを称賛していたからです。このまま首都エルサレムに入場すれば間違いなく政権はイエスのものになると思われたからです。

 事実マルコ福音書11章では歓呼の中に入場するイエス一行の姿が描かれています。そんな高揚した中、弟子たちは政権掌握後の出世争いを始めるのです。

 まるでげ現代の政治の姿そっくりです。内閣改造の時皆大臣ポストの依頼を心待ちにします。あれだけ首相に尽くしたのだから○○大臣は間違いない。自分は首相の懐刀だから副総理くらいは当然だというところです。

 さらには、あなたが首相になった際は是非○○大臣をお願いしますとお願いする人もいるでしょう。イエスの弟子もそうだったのです。

 イエスの弟子のヤコブヨハネがイエスに「お願いがあります」と言います。イエスは「何をしてほしいのか」と聞きます。すると「栄光を受ける時(王権を掌握するとき)、わたしどもの一人をあなたの右に(右大臣に)もう一人を左に(左大臣)に座らせて(任命)ください。」と言うのです。

 イエスは「私の右や左にだれが座るかは、私の決めることではない。それは定められた人々に許されるのだ」と答えます。

 このイエスと二人の弟子たちの話合いを聞いた「ほかの十人の者(他の弟子たち)は」これを聞いて二人に腹を立て始めるのです。この二人はイエスが王権についたときの待遇について抜け駆けしようとしたのです。

 逆に言えば他の弟子たちもイエスが王権を掌握した時できるだけ高い位に就くつもりだったのです。先述した現代の日本の政治家そっくりです。

 イエスの弟子としてイエス自身に接していても人間というものはこんなものです。その後この出世争いをしていた弟子たちはイエスが処刑されるとばらばになって逃げてしまうのです。

 イエスはこのような弟子たちの姿を見て「いちばん上になりたい者はすべての人の僕(しもべ・・召使)になりなさい。」と言います。イエスの言葉は現代日本の政治家に突き付けられた言葉です。

 まさに公僕という言葉にぴったりです。しかし、国会議員も含めて議員になった途端に威張りだしたり、公金を私的に利用したりする者が後を絶ちません。(兵庫の某県会議員など)

 まあ後にカソリック教会で聖人とされたイエスの弟子たちでさえ、あの体たらくですから、信仰から程遠い議員さんたちが、出世競争むきだしでも仕方がないのかもしれません。

 安倍首相ご本人も、とても「すべての人の僕」とも思えないので、あとは推して知るべしです。明日は月曜日なので世俗に戻ります。アメリカの株式相場は上げたのでたぶん日本の株式相場も上げると思います。

 しかし、昨日書いたように今年の相場は地雷原の中を歩くようなものですから、注意深く行かねばなりません。