新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イエスのエルサレム入場ー移ろいやすきは人心(ひとごころ)

今日は日曜日なので教会です。恒例の教会ネタです。ところで中東で殺されたとされる人質の後藤さんはやはり日本キリスト教団の会員でした。

 今日の週報で日本キリスト教団議長名で後藤さんの無事を祈る依頼が来たと報じられていました。さて今日は有名なイエスエルサレム入場についてです。

 キリスト教と縁の薄い日本ではキリスト教徒以外イエスエルサレム入場と言いってもほとんど知っている人はいないと思います。欧米ではこの話は皆知っています。ずいぶん昔30年くらい前アメリカの西部劇(ゲリークーパー主演)でこのエルサレム入場を下敷きにした場面を見たことがあります。

 西部劇は庶民の娯楽映画です。庶民なら誰でも知っている話でなければ下敷きにできないのです。それは、主人公がある町を目前にした場所での出来事です。主人公が目前の町の名前を聞くとエルサレムと別の人がいうのです。

 そして、どこからかロバが出てくるのです。これはアメリカ人ならすぐわかる出来事です。今日の説教はこのイエスエルサレム入場を題材にしています。

 この話は4つの福音書すべてに出ている話です。つまり4人の福音書記者にとって極めて重大な出来事であったことが分かります。

 以前書きましたが、このエルサレム入場直前の状況はイエス以外の弟子たちにとって勝利の入場だったのです。エルサレムの住人は皆イエスの入場を歓迎していたのです。

 それはマルコ福音書11章8節以下を読むとよくわかります。「多くの人が自分の服を道に敷き、また、人々は野原から葉のついた枝を切って来て道に敷いた。」とあります。

 よく王侯などのVIPが車から降りて建物に入る時赤じゅうたんを引いたりします。それをイメージすればよいと思います。また人々は歓呼の声を上げてイエス一行を迎えたのです。

 しかし、イエスは堂々たる馬に乗って入場したのではありません。逆に粗末な子ろばに乗って入場したのです。馬に乗って堂々と入場するのは強者の行動です。弱者の象徴としてイエスは子ロバに乗って入場したのです。

 イエスエルサレム入場後の行動については後日書きます。ただ言えることは、歓呼の声を上げ、道に自分の服や切ってきた葉のついた枝(棕櫚だと聞きましたが)を道に敷いてイエスを歓迎した民衆の態度は数日後激変します。

 皆大声でイエスの処刑を叫ぶのです。民衆の心ほど変わりやすいものはありません。イエスはそのことをよく知っていた故にあえて絶好調の時それを誇ることをしなかったのです。

 ところが弟子たちはイエスと行動を伴にし、イエス自身から話を聞いたのに何も理解できなかったのです。イエスの真意を理解するのはもう少し後になってのことです。

 聖書を読むと人間というものが時代を経ても変わらない存在であることがよく分かります。いつも書くように聖なる日曜日は終わり世俗の生活に月曜日から戻ります。

 金曜日のアメリカ株式市場は200ドル位以上の安値でした。このところアメリカの相場と日本の相場がかい離しています。(以前書きました。)ただかい離はどこかで解消すると思います。日本株が上がりすぎている分だけ下落幅も大きいのではと心配しています。