昨日は誕生日でした。ー子供時代の公園の思い出
昨日は誕生日でした。67歳になります。昭和23年生まれです。所謂団塊の世代です。生まれて数日でおじさんを残して家族が銭湯に行っている間に泥棒が入ったそうです。
もちろんおじさんは赤ちゃんだったので、泥棒が入ったことも覚えていません。生まれた家から引っ越してすぐなので泥棒に狙われたのでしょう。よく引っ越ししてすぐは泥棒に狙われると言われます。
当時は1年保育が主流で、おじさんも5歳で幼稚園に行きました。その幼稚園は少子化で廃園になっています。お寺の幼稚園だったので、骨壺を入れた箱などが本堂の床下にたくさんありました。夜そのお寺の前を通るときはとても怖かったです。
団塊の世代なので、子供が近所に大勢いました。公園に行くと20人以上の子供がいました。ビー玉(おじさんの地方ではランチンと呼んでいました。)もちろんビー玉をかけて遊ぶのです。おじさんは不器用なのでやりませんでしたが、次兄は得意で箱一杯貯めていました。
勉強せずビー玉ばかりやっているのに母が怒って全て捨ててしまいました。次兄はそれに懲りてビー玉は隠していました。写真とか軍人、ぱっちんと言われたカードもありました。
ぱっちんは関東のようにひっくり返すのではなく、沢山積み上げて特定の一枚だけをぱっちんで弾きだす形です。うまく弾き出すと積み上げたぱっちんをすべてもらえるのです。かなりギャンブル性の強いものです。弾き出す役目のカードは蝋を塗ったり、油を塗たりして細工していました。
ビー玉の方は貴重なので、負けると大変です。そういえばおじさんの家の近くの公園には道場荒らしのように知らない子供が勝負に来ていました。遠征です。もちろんおじさんの公園一のビー玉の名手が相手していました。
公園で遊ぶのは小学生までです。中学になると卒業します。公園では6年生が王様です。同じ6年生でもリーダーがいます。そのリーダーが公園を仕切っているのです。
彼の発言が全てを決めます。その日何をして遊ぶのかも彼が決めます。小さな兄弟を連れて来た場合、その子はまま子とリーダーが宣言します。(○○はまま子だから・・本当はこんな共通語ではなく方言です。)
まま子に認定されると、鬼ごっこで捕まっても鬼になることもありません。何をしても手加減してもらえるのです。それに不満を唱えることなどありません。リーダーにはそれだけの権威があるのです。皆親から弟妹を連れて公園で遊ぶよう言われているので皆すぐに承認します。
5時頃になると、カラスが鳴くから帰ろと言って皆帰りました。一番の思い出は、おじさんたち6年生が公園から引退するとき次のリーダーを決めたことです。
公園に集う子供達全員が集まっているなか、リーダーが次のリーダーを指名します。そしてその子が次のリーダーとなり公園を守るのです。
どこの公園も同じような構造でした。他の公園で遊ぶ時は、知人から紹介してもらって、そのリーダーが認めてくれたら、その公園のメンバーと同じように扱ってもらえるのです。
今のようにゲーム機で遊んだりしないかわり、公園で人間関係や上下関係について学びました。そのため大人になっても人間関係や上下関係で悩むこともありませんでした。
公園では無料映画が上映されたり、おじさんの町の高校が甲子園に出場した時は、近所の電機店がテレビを設置してみんなで見ました。当時テレビはほとんどなくて、お金持ちの家に見せてもらいに行っていました。
おじさんが見に行っていたのはお米屋さんです。当時お米は専売で自由に売り買いできないので、お米屋さんは独占企業で近所一番のお金持ちだったのです。
電話もそこの米屋さんしかなく、そこから電話ですよと呼びに来てくれていました。電話が一人一台の時代からは考えられませんね。今日は思い出話です。