新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

カエサル(皇帝)の物はカエサル(皇帝)に

今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日は有名な「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に」という言葉の由来から書きます。

 この言葉は、マルコ福音書12章13節以下の記事からです。この場面でも、イエスを言葉の罠にかけようという狙いのもとに話された言葉です。

 聖書には「イエスの言葉じりをとらえて陥れよう」という狙いで始まったと書かれています。以前にも権威をめぐる論争でイエスを陥れようとしたのです。

 今回イエスを陥れようとしたのは、「ファリサイ派やヘロデ派の人を数人」です。読者の方の大半はファリサイ派とかヘロデ派と言われても何のことか分からないと思います。

 ファリサイ派というのは、以前パリサイ派ともよばれました。律法(旧約聖書の教え)を忠実に守ろうとした人々のことです。一方ヘロデ派というのは、当時宗主国ローマの意向を受けてイスラエルを統治していたヘロデ王の支持者たちです。

 ファリサイ派民族主義者だとするとヘロデ派は外国勢力と連携するメンバーです。まさに呉越同舟でイエスを排除しようとしたのです。

 彼らは慇懃にイエスに問いかけます。「ところで、高弟に税金を納めるのは、律法に適っているのでしょうか、適っていないのでしょうか。」と言います。

 もし、律法に適っているとイエスが言えば、イエスはローマの勢力に屈する売国奴だと言えますし、逆に税金を払わなくてよいと言えば、ローマン反逆する反逆者でと糾弾できるのです。

 前者はファリサイ派によって糾弾され、後者の答えはヘロデ派から糾弾されるのです。この答えの罠に対して、イエスはローマのデナリオン銀貨を見えせるよう言います。
 そして、銀貨に描かれている像を見て「これは誰の肖像か銘か」と尋ねます。彼らが皇帝のものですと答えると「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というのです。

 この答えは世俗のことは世俗で解決し信仰の問題は信仰として扱いなさいと言っているとも言えます。答え自身は見事に言葉の罠を逃れています。事実これを聞いた人々は「イエスの答えに驚きいった」とあります。

 この言葉をイエスの巧みな弁舌とだけ理解するなら、不十分です。イエスの答えの「神のものは神に返しなさい」という部分に注目しなければならないのです。

 キリスト教の信仰によれば、我々は神から多くのものを与えられています。それに我々はどれだけ答えているでしょうか。あなたは神の恵みにどれだけ神様にお返ししているのか問われているのです。

 おじさんは今日の説教でそのことを気づかされました。毎回説教を聞くことで思いがけない気づきがあるのです。

 さていつも書いているように、聖なる日が終わって明日からは世俗の生活です。土曜日書いたように、明日の相場がどうなるのか気になるところです。取りあえず安値で寄り付くとは思っています。