新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

復活についての問答

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日も今日の説教についてです。マルコ福音書12章18節からです。今イエスエルサレムにいて、論争を重ねています。

 先週はファリサイ派やヘロデ派と皇帝に税金を納めるかについてイエスは論争を繰り広げます。エルサレムでは大衆に大人気のイエスを何とか陥れようとさまざまな人が論争を挑んできます。

 今回論争を仕掛けたのはサドカイ派の人たちです。ファリサイ派は聖書を厳密に実行する清貧派とも言えます。それに比べて今日登場したサドカイ派世俗主義で貴族や祭司たちが支持した派です。

 まもなくイースター(復活祭)です。イエスが一度死んで復活したというのが聖書の記事です。当時復活の存在を信じるファリサイ派と信じないサドカイ派に分かれていました。

 聖書にも「復活はないと言っているサドカイ派の人々」と書かれています。彼らはある結婚の話から論争を挑んできます。実は当時の律法では兄が死んで兄に子供がいない場合、弟が兄嫁を妻にして兄の跡継ぎをもうけなければならなかったのです。

 そういえば戦争が終わって兄が戦死したので、弟が兄嫁と結婚した例がありました。おじさんの祖母の家の近所でもそんなことがありました。その家の息子さんがそのことを聞いてぐれたという話まで聞きました。

 また死んだと思った兄が生きて帰ってきて弟と結婚していた兄嫁また元の鞘に納まったとも聞いたことがありました。聖書の記事は7人の兄弟がいて、一番上の兄が死に長兄の妻はその弟の嫁になり、その弟も死んだので次の弟の嫁になり、とうとう7人兄弟すべての嫁となったと言うのです。

 最後にサドカイ派の人は、では復活の時この女は7人と結婚しているので誰の妻になるのかと質問するのです。まあ考えて見ればくだらない質問ですが、復活を主張するイエスへの嫌がらせのような質問です。

 イエスは「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともない」と言うのです。サドカイ派のふざけた質問を簡単に一蹴します。

 この記事の最後に「神は死んだ者の神でなく、生きている者の神なのだ」と言います。サドカイ派の人は生きて働くイエスに目を向けようとせず、どうでもよいことにかかずらっているのです。

 現在仏教はお葬式を担当しています。日常的にお寺に行く人は少ないです。以前はお寺でも日曜学校と言って近くの子供を集めてお話をしたりしていました。おじさんが子供の頃一度お寺の日曜学校に行ったことがあります。

 今はどうでしょう。中国でも寺院に行くとお坊さんが法話をし、悩みのある人の話を聞いたりしていました。おじさんがシャングリラに行った時経験しました。ちなみに日本では交通安全のお守りは神社が出しますが、中国ではミニサイズの仏様が交通安全のお守りです。

 車のフロントガラスの前に小さな仏像がおいてある車をよく見ました。仏教について言えば中国の方が生きて働いています。もちろん、中国の寺院には納骨堂もありますし、霊園の分譲もやっています。

 文化大革命の時代に寺院も迫害されましたが、しぶとく生き残って今は仏教も隆盛を極めています。政府公認の仏教団体があります。地方政府も観光のために寺院を改装したりしています。

 観光地として地域の経済にも貢献しているようです。これは日本のマスコミが報道しないことです。日本のお寺で若い方が仏様に祈ったりしませんが、中国では若い女性が一人祈っている姿をよく見ます。

 いつか中国の宗教事情についても書きます。明日からはまた世俗の生活です。明日の株式相場に注目しています。