新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

戦国の日本語を読むー大学時代の思い出とともに

 今日はおじさんが今読んでいる本について書きます。おじさんは株のことばかり書いていますが、経済学部の出身ではありません。株は趣味と実益を兼ねてやっているだけです。

 卒業は文学部国文科です。国文科の中は文学系と語学系に分かれます。文学系は古代・中古・中世・近世・近代・現代などの講座に分かれます。

 国文科ではこちらがメインで言語系は2講座しかありませんでした。おじさんが大学入学した当初は近代文学それもプロレタリア文学をやろうと思っていました。

 その後2年生の時受洗したので、キリスト教文学・・芥川とか太宰とか をやろうかとも思いました。ところが、近代文学に良い先生がいませんでした。その時ある言語系(当時は国語学と呼んでいました。)の先生がキリシタン文学の作品を講読すると言われました。

 国語学がどんなものかよく知りませんでしたが、キリシタン文学に惹かれてその先生のゼミに入りました。それが戦国期日本語のスタートだったのです。

 ところでタイトルの本ですが、大学で戦国期の日本語について学んだ方以外には理解できないと思います。また、これから書くことはおじさんの自慢になるので、興味のない方は読まなくても結構です。

 ただお読みになれば雑学博士になります。さて次の本の名前を読めるでしょうか。また、何が書いてあるかお分かりでしょうか。多分国文学専攻の学生さんでも知らないと思います。もちろんおじさんは大学3年生の時以下の本にすべて目を通しました。

 新撰字鏡 下学集 節用集 色葉字類抄 運歩色葉集 饅頭屋本 易林本 

 実はすべて古代の辞書なのです。新撰字鏡だけは古くて9世紀くらいであとは室町期くらいです。下学集(かがくしゅう)節用集(せつようしゅう)色葉字類抄(いろはじるいしょう)運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)饅頭屋本(まんじゅうやぼん 節用集の一写本)易林本(いりんぼん 節用集の一写本)

 おじさんが大学時代ゼミで読んだのは「天草本伊曾保物語」(あまくさほんいそほものがたり)です。天草本というのは天草で印刷されたローマ字本です。実は国字本もあって、こちらは木版刷りで江戸時代キリシタン禁制後も読まれました。この中では登場人物は日本の武士の格好をしています。

 ローマ字で書かれているものを漢字かな交じり文にするのが授業でした。ひらがなは良いのですが、最初授業の時、調べて行って発表したら先生が漢字は何で調べましたかと聞きました。

 それで漢和辞典で調べましたと言うと、その時代の辞典で調べてくださいと言われました。その時初めて、戦国期に日本に辞書があったことを知ったのです。

 それが前述した辞書です。当時の漢字の発音を調べることもできます。さらに正確な当時の発音を知るためには日葡辞書(にっぽじしょ)を使います。ポルトガル語と日本語の辞典で、ローマ字で表記されています。

 以上書いた本のうち運歩色葉集と日葡辞典はおじさんももっていました。今は中国で勤務した大学の研究室に寄贈しました。いつかこの研究室でとんでもない物があることを知ることになるでしょう。

 本文中の公家の日記についての記述も懐かしい人の名前が出ていました。三条西実隆(さんじょうにしさねたか)です。この人は室町期の公家で大変な学者です。彼は源氏物語を書写(書き写し)したのです。

 彼の名前を取って三条西実隆本と呼ばれます。名筆なのですが、草書なので読むのが大変でした。これを読むのが中世文学演習なのです。最初は大変でしたが、慣れてくると結構読めました。講師は著名な方で今井源衛先生で今井源治とまで言われる大家なのです。

 名講義で3年の授業でしたが、2年生が聞きにくるほどでした。病弱で授業中倒れらた時は、学生が飛んで行って保健室の先生を呼びに行ったこともありました。

 これからはキリシタン文学と秀吉の日本語について読みます。48年ぶりに懐かしい用語に出会ってうれしかったです。昭和43年(1968年)のことです。大学紛争真っ盛りの頃、しこしこ学内で誰一人知らない本を抱えて図書館をうろうろしていました。

 こんなことをやっても、ちゃんと経済も法律も政治も理解できます。一つのことをとことんやると、他の分野にも応用できるのです。

 明日からまた相場が始まります。どうなることやら。