新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

永遠なるものを求める信仰

 今日も日曜日なので教会ネタです。今日は永遠について書きます。永遠と言えば、大学生の時、波多野精一の「時と永遠」という本を読みました。

 理解できたのは、全体の五分の一くらいです。その本の中に出てきた自然的時間と文化的時間という言葉が印象的でした。自然的時間というのは、世界が始まって世界の終わりまで流れ続ける時間のことです。

 文化的時間とは、自然的時間を人間が区切って使い始めた時間です。現代社会では時間というのはとても大切なものです。「時は金なり」という言葉があるほどです。

 また、著者は永遠なるものは、神の属性というのです。属性というのは、ある者が持つ性質のことです。神の属性の一つが永遠です。人間は有限なものですから、無限つまり永遠なるものにはなり得ないのです。

 今日の聖書箇所はマルコ福音書の13章28節からです。一番印象的な言葉は「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(31節)です。

 「天地は滅びる」という言葉で思い出すのは、唐代の詩人白楽天長恨歌の一節です。「天は長く地は久しきも時ありて尽く」とあります。

 天地は確かに長い時間続くがいつか終わるというのです。まさに聖書の「天地は滅びる」に通じるものがあります。長恨歌では「この恨み綿々として絶ゆることのなからん」と続きます。(この恨みは永遠に絶えることはないだろう。)この恨みとは「皇帝が楊貴妃を失った恨み」です。

 聖書では「私の言葉は決して滅びない」というのです。イエスの言葉は滅びることのない永遠の真理ということができるでしょう。

 波多野精一によれば、人は永遠なるものと一体となることで永遠なる存在になると言います。波多野精一キリスト者宗教哲学者であったのです。

 キリスト教の本質は永遠に滅びないイエスの言葉を信じ、イエスとともに永遠に生きることなのです。そして、いつか復活の時を待つのです。

 もちろん、間違っても「時と永遠」など買ってはいけません。数ページ読んだだけで投りだしてしまうでしょう。ちなみにある方にこの本をお貸ししたらすぐ戻ってきました。

 読んでいると頭が痛くなったそうです。同僚の国語教師の方です。聖書は永遠なる真理について書かれている本なのです。

 今日から次女と孫たちが来ます。相場が連休でないので寂しいです。