コーラの思い出
今日は子供の日です。朝日新聞にはコーラの思い出が書かれていました。おじさんにもコーラにまつわる思い出があります。
さてコーラの話に戻りますが、中学1年の頃お盆にいつもおばさんの家に泊まりに行っていました。そのおばさんの養子になる話もあったのですが、結局立ち消えになりました。おばさんは秀才で、東京女子医科大に進学したかったのだそうです。
おばさんの家に夏に行ったのもおじさんがおばさんの家になれるためだったのかもしれません。おばさんの家はある港湾都市の割烹旅館(結婚先の実家です。)でした。
その後町にもコーラが出回りましたが、そんなに飲みたいとは思いませんでした。次のコーラの思い出は大学に入ってからです。
大学生になるまでアルバイト禁止だったので、大学に入ってすぐ5月頃アルバイトをしました。コカコーラ社ではなくペプシコーラ社です。
その宣伝販売のアルバイトをしたのです。今頃コーラの宣伝販売など考えられませんが、昭和40年代初頭はまだそれほどコーラも普及していなかったのです。
おじさんの町は地方都市なのでよけいでした。デパートの地下でやりました。課長と一緒に支社から車でコーラをデパートまで運ぶのです。一応制服を着ました。転勤した社員の制服なので、おじさんと別の名前の縫い込みがしてあります。
販売を始めたのですが、なかなか「いらっしゃいませ。コーラいかがですか」が出ません。課長から君はアルバイトなのだから声を出せと言われました。
高校時代受験勉強しかしていなかったので、人前で話すのが大の苦手でした。課長は、どうせ君のことを知っている人はいないし、君がアルバイトのことも知らないのだから恥ずかしがる必要はないよ。
声を出す方が自然なのだからと言われました。それで声を出すともちろん誰も笑いません。そうかと思ってどんどん声を出しました。課長もいいぞと言いました。
後日教会のバザーで販売するとき、その時の経験が役に立ちました。おまけに人前で話す訓練もできたので、教師になったのちも恥ずかしがらずにどこでも話せるようになりました。
課長から、ケースには一本割れてもよいように大目に入っている。だから、一日一本だけコーラを飲んでいいぞと言われました。それで毎日コーラを飲んでいました。
声がでるようになって、一度大失敗をしました。「コーラいかがですか」と言うところを「コカコーラいかがですか」と言ってしまったのです。課長から次言ったらクビだぞと言われました。
1週間アルバイトをしましたが、5000円くらいもらったと思います。当時奨学金が月3000円でした。相当高額のアルバイト料だったと思います。
アルバイトが終わった時、課長から仕事がなかったらうちで働いていいぞと言われました。お世辞でもうれしかったです。その後アルバイトをいろいろしましたが、一番印象に残るアルバイトでした。
50年近く前の出来事です。その後アルバイトはほとんど家庭教師でした。一番多かった時は週に3軒くらい掛け持ちしていました。一度高校2年生の英語と数学まで教えたことがあります。
高校時代の恩師の紹介で、このバイトが一番高収入でした。今考えるとよく高2の数学と英語が教えられたものだと思います。受験勉強が幸いしたのだと思います。
明日はのんびり過ごします。