新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

中国の学生さんの修士論文を添削しました。

 今日は久しぶりに中国ネタです。中国の現状は3年半前とずいぶん変わっているでしょう。中国の変化のテンポはとても速いのです。

 ところで、このところ依頼されている中国の大学の先生から今年も修士論文の添削の依頼がありました。某特殊法人立の専門学校を退職してから、知的なことを何もしていません。

 ブログでも株のことばかり書いています。中国の大学にいた頃は大学生の卒業論文指導までしました。日本に帰ってからは、修士論文の添削を依頼されるようになりました。ツマクマはボケないように、脳トレの本をやっています。おじさんは、ボケないように修士論文の添削をやっています。

 これまで添削した内容も各種で翻訳関係の論文・文学関係の論文などです。文学関係の論文は坂口安吾の「白痴」でした。坂口安吾は教科書に出ているものは読みましたが、「白痴」は初めてでした。

 今回はおじさんの専門の日本語学についてです。おじさんの時代の日本語研究は国語学と言って、日本語を母語とする人のためのものでした。

 今は日本語を学ぶ人のための日本語になっています。ですから、用語もおじさんの知らない言葉が沢山ありました。ところで今回の修士論文の題名は「可能表現の意志性に関する研究」です。

 A4で52枚の分量です。3万字以上ありました。内容は日本の文学部の修士論文としても通用する内容です。動詞の意志性や主体性、話者の意志性について論じています。

 たとえば、可能動詞は動作主体にとってプラスの意味を持つと述べています。たとえば、「彼は美味しい餃子を作ることができる。」という文は可能ですが「彼はまずい餃子を作ることができる」という文は成立しないと言います。

 可能動詞は特定の副詞を取ることで、使用の範囲を広げることができるとして、次のような例文もありました。

  市制100周年の記念バスに偶然乗れるかもしれない。

 逆に「偶然」という言葉を使わなければ、文章として成り立ちにくいでしょう。

 市制100周年の記念バスに乗れるかもしれない。

 となります。この論文の難しさは用語の理解です。「飲む」「乗る」という動詞は自己制御性を持つなどという表現が出てくるのです。

 おじさんが勉強したのはどちらかと言うと古語なので、現代語については苦手です。ただ所詮日本語ですから、何とか理解できます。日本語の漢字は表意性が高いので理解しやすいです。

 ちなみに、この修士論文の添削を依頼された先生のご主人は市の共産党の偉い人なのだそうです。運転手付きの車で迎えに来たり、ご自分はフォルクスワーゲンに乗っておられます。

 今日はやたら難しいことを書いて申し訳ありません。明日は日曜日なので教会です。