シルバーデモクラシーについて思う。
日曜日の住民投票で大阪都構想が否決されたのを受けてシルバーデモクラシーが取り上げられています。今回の大阪の住民投票では、高齢者の反対が際立っていたからです。
シルバーデモクラシーについては、もちろん以前から話題になっていました。そのほとんどが、シルバーデモクラシーはけしからんと言うものです。
若者の意見や意欲がシルバー層によって否定されているというのです。簡単に言えばシルバーは黙って若者に政治を任せろというものです。
一方では若者の政治離れを嘆いています。これらの意見を見ながら違和感を覚えます。戦前の普通選挙以前は多額納税者のみに選挙権が与えられていました。
それはおかしいと言うので戦前でさえ、ある年齢に達すれば男性ならだれでも選挙権が与えられたのです。もちろん、どんなお金持ちも貧しい人も皆一票です。
ところが、最近の論調を見ると、将来のある若者にシルバーより、多くの票を与えよとか、シルバーは税金から年金をもらっているのだから、投票権をなくせという暴論もあります。
シルバーデモクラシーの弊害を説く人はシルバーの人々の気持ちを逆なでするばかりです。シルバーもかっては若く働いて多くの税金を払いました。引きこもりとかニートなどいませんでしたから、、皆若者は働いたのです。
それにシルバーと言えども税金も払っていますし、国民健康保険料も払っています。税金をもらうばかりではないのです。
今回の大阪の住民投票でもシルバーが邪魔しなければ賛成多数だったと言います。しかし、選挙は投票する側のそれぞれの価値観や意見があっていいのです。
戦前の翼賛政治ではないのです。どちらの選択が良いのかを投票する人にゆだね、多数を取った方の意見が取り上げられるのです。
この場合、投票をする人の良識に全てが委ねられます。若者であるか、シルバーであるかという属性は捨象されるのです。簡単に言えば結果オーライなのです。
今人口の構成が若者より高齢者が多くなりました。ですから、当然数の多い高齢者の意見が通ることになります。もし、それ以外の意見を通そうとすると大変な努力が必要です。
なぜその政策が必要なのかだけでなく、そうすれば高齢者に不利益になるがそれでもそうしなければならない理由を説明し、高齢者の納得してもらわなければなりません。
政治というのは面倒なものです。もちろん先述したように高齢者の選挙権を制限したりなくしたりできるなら、いいのでしょうが、憲法を改正でもしない限り不可能です。そんな改憲にはシルバー層は間違いなく反対するでしょう。
今は逆です。若者よもっと政治に関心を持てです。そのように、時代によって高齢者と若者の立ち位置が異なるのです。団塊の世代は若いころ政治に関心をもっていたので政治意識は高いです。
もちろん投票にも行きます。暴力で革命はできないが、政治を動かすのは投票だと知っているからです。これらか益々シルバ層の政治への影響力が強まるでしょう。
すべからく民主主義は数の力なのです。最大多数の最大幸福と言えば、シルバー層がこれから政治的には最大多数になるのですから、その人たちが最大幸福を求めるのは当然です。
それが嫌なら、先述したように、シルバー層を説得し若者の政策を支持しれもらわねばなりません。シルバーデモクラシーをいくら批判してもシルバー層の意識は変わらないでしょう。
逆に批判すればするほど意固地になります。シルバーとはそんなものなのです。