新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

今日はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝でした。

 今日は日曜日なので教会に行きました。恒例の教会ネタです。今日は久しぶりに司式の務めを果たしました。司式というのは、礼拝の司会です。

 長老(役員)が担当します。これまではツマクマの体調が悪かったので、免除してもらっていたのですが、長老(役員)が一名欠員になったし、ツマクマの体調も何とか落ち着いたので、司式をしました。

 今日は教会暦でいうとペンテコステの日です。ペンテコステというのは、聖書の使徒言行録に出てくる記事に基づくものです。記事は使徒言行録2章1節以下に出てきます。

 その伏線は使徒言行録1章8節以下の記事です。復活したイエスが弟子たちの前に現れたのち、イエスは再び昇天します。その前にイエスは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」そして、「地の果てに至るまで私の証人となる。」といいます。

 これは、世界全土への宣教命令だと言われたいます。その聖霊が下ったのが、ペンテコステなのです。それは五旬祭の日であったとされます。イエスが復活して50日目のことです。

 今ではイースタ(復活祭)から50日目の日曜日がペンテコステの日となります。そこでは何が起こったのでしょう。弟子たちが集まっていると「突然、激し風が吹いて来るような音が天から聞こえ」、「炎のような舌が別れ別れに現れ、一人ひとりの上にとどま」るのです。

 それが聖霊でした。聖霊を受けた弟子たちは何をしたかというと、、弟子たちは「ほかの国々言葉で話しだした」のです。そこにはさまざまな国から来た人たちがいました。弟子たちが自分の国の言葉で語りだしいたので「あっけにとられてしまった」のです。

 「話しているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろう」と怪しみ驚くのです。ある人は「新しいブドウ酒にい酔っているのだ」とも言います。

 聖霊が働くことで弟子たちは世界伝道の自信を持つのです。これも奇跡の話の一つです。聖霊は幽霊のようなものではありません。幽霊はただ人を恐れさせるだけです。

 聖霊は人に力を与えるものです。聖霊は目に見えないが確たる存在です。そもそもおじさんのような合理主義者を信仰のような不合理なものに導くのも聖霊の力です。

 人が信仰を持つのはキリスト教の教理を理解したからではありません。いくらキリスト教の本を読んでも聖書をはじめから終わりまで読んでも信仰を持つわけではありません。

 人の心を動かす目に見えない力が働いてこそ信仰へと進むことができるのです。このペンテコステの後弟子たちは世界中にキリスト教を伝えます。

 戦国時代にはイスラエルからはるか離れた日本にまでキリスト教は伝わります。おじさんも3年前中国の内陸部の大学のある都市で教会に行きました。繁華街のど真ん中で、時計台もある7階建てでした。観光地の岳陽(岳陽楼に上るの漢詩で有名です。)に行った時も洞庭湖のすぐそばで教会を見つけました。

 訪ねて教会の中を見せてもらいました。世界中どこにも教会があり礼拝が行われています。それがこのペンテの日の出来事に始まります。

 聖なる日曜日も終わり明日から世俗の生活です。明日の株式相場は値上がりすると見ていますが、さてどうでしょう。