「戦国の日本語」(今野真二著)を読む(2)
今日は久しぶりの雨になりました。午前中はツマクマのお供で産直販売所に行きました。午後からは出歩けないので読書です。
以前から読んでいた「戦国の日本語」を読み終わりました。毎日が日曜日ですが、家事手伝いをしているのでなかなか本をじっくり読む時間がありません。
ところで、今回読んだ「戦国の日本語」ですが、以前書いた通りよほど国語史の知識がないと読めません。出版社は河出ブックスとなっていて、一般向けですが、内容は学術論文並です。
たぶん文学部の日本語・日本文学専攻の学生でも無理でしょう。大学院で日本語史を専攻している学生でなければ無理です。これも以前書きましたが、おじさんの時代の文学部の学生、それも国語学専攻の学生なら理解できました。
と言ってもそれは大学進学率20%の時代の話です。さて、今回は残り2章について書きます。今回読んだのは宣教師の時代と秀吉のリテラシーの2章です。
さて、キリシタンの時代は戦国期の日本語とどうかかわるのでしょう。当時の発音を知る手段は普通ありません。今ならテープレコーダーや音声分析機器があります。
それ以前はそんなものはありません。文字に書かれたものはどう発音をしたのか不明なのです。発音と文字が比較的一致しているのが万葉仮名です。
この万葉仮名は一字一音と言われるからです。しかし、表記された漢字をどう発音したかはよく分かりません。それに比べてキリシタンの書いた日本語はローマ字だったので、当時の発音が推測できるのです。
一番有名なのがキリシタン版「天草本伊曾保物語」です。おじさんが大学3年のゼミで読んだ時は驚きました。全部ローマ字なのです。それなのに発音するとなんだか現代語と違うのです。言葉の響きは狂言の日本語に似ています。狂言は室町期に盛んになったので当然ですが。
この章では秀吉の仮名書き手紙を取り上げています。仮名書きの場合、崩し字で書くのですが、彼の用いた崩し字は結構ユニークなようです。また表記の仕方についても同様です。
卑しい身分から天下人まで上り詰めたのですから、やはりそれなりのユニークさをもっていたようです。それが日本語表記にも表れているようです。
ジュアンロドリゲスは日本大文典を書いたほど日本語に通暁していました。日本大文典というのは、宣教師の書いた日本文法の解説書です。おじさんももっていて先述の大学の研究資料室にあります。
キリシタン大名の中には貿易利益のために改宗した人もいたようですが、黒田親子などは心からキリスト教を信じたようです。NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の最後、官兵衛が死ぬ場面でも寝床の奥に十字架が見えました。
さすがにNHKだと思いました。明日は日曜日なので教会に行きます。