ツマクマが亡くなりました。ー経過報告
これまでブログをお休みしていたのは、ツマクマが入院したからです。そして先週の水曜日召天しました。ツマクマは2年半くらい前肺がんであることが分かりました。
発見される3月ほど前セキが止まらないので近くの開業医へ行きました。もちろん毎年肺のレントゲン撮影はしていました。そこでも発見されませんでした。
開業医は気管支炎だろうと言っていたのですが、年を越して2月になってもセキがとまらないので、知り合いの医師夫人からもっと大きな病院へ行くよう勧められました。
腰にも転移があるとのことでした。セカンドオピニオンとして別のがん専門病院にも行きました。そこの方が良いとのことで入院しました。手術はできないとのことで維持療法をすることになりました。
簡単に言えば今の生活の質をできるだけ長く持続させる療法です。医者によっては何もしないのが一番だと言う人もいますが、ツマクマの場合抗がん剤がうまく合って2年半近く生きることができました。
もし治療しなければ半年しか生きれなかったと思います。最初に使ったプレパラチンとアリムタの組み合わせ投薬は4月に入院して12月まで有効でした。
ドセタキセルは髪の毛が抜ける副作用がありました。ツルツルになるほどではありませんが、やはりはげました。その薬も1回投薬しましたが効果がなく次の薬を探しました。
そこで副作用はあるが効果が知られている薬と副作用はそれほどでもないが効果がまだ不透明な薬のどちらを使うかの選択を迫れらました。結局8月に息子の結婚式が東京であるので、副作用の少ない薬を選びました。
ジェムザールと言いました。この薬は毎週投薬する必要がありました。これまでの薬は月一回でよかったのです。副作用として発熱がありました。発熱もすぐ収まりました。
この薬は効果があって、8月の結婚式と9月にも東京へ行けました。その薬も効かなくなり、タルセバという以前言われていた薬になりました。これは分子標的剤らしく、ある遺伝子を持つ人には効果が高いがそうでないと効果の低いものでした。
ツマクマはその遺伝子がなく味覚障害という副作用だけがあって投薬しても効果がありませんでした。結局去年の11月に自宅で残りの人生を過ごすと言うことになりました。
そのおかげで退院するとき余命3月から4月と言われたのに7ケ月も自宅で過ごすことができました。7月2日に入院して8日に亡くなりました。入院した時緩和ケアーの先生から1週間と思ってくださいと言われました。
事実その通りになりました。長女と次女、息子、孫、ツマクマの妹に見守られながら亡くなりました。看病したおじさんとしては、悔いのない2年半だったと思います。
2年半で体重が9キロ減りました。肩の痛みも24時間筋肉が緊張しているからだとリハビリの先生から言われました。木曜日に前夜式(通夜)金曜日に葬儀式がありました。来ていた親戚も娘も全て今日帰りました。
今日から一人の生活になります。寂しいけれど精一杯やったので後悔はありません。すっきりした気持ちです。9月に納骨をしたら取りあえず葬儀関係は終わりです。
初盆・一周忌に該当する1周年の記念会を来年の7月にすれば取りあえず終わりです。お盆やお彼岸に相当するのがイースターと召天者記念日です。
機会があったらキリスト教式の葬儀についても書きます。明日から世俗の生活です。ギリシャに中国と株価に影響を与える問題が山積しています。明日の株価は大幅高と予想しています。これからは毎日ブログを書きます。