新国立競技場問題をめぐって
今日は今話題の新国立競技場建設問題について書きます。この問題は安倍さんが白紙に戻すことで一応決着がつきました。
と言っても舛添都知事は不満を表明しているようです。そもそも、この新国立競技場は予算をはるかに超える建設費が発生したところから始まります。
これが高度成長の時代であれば何ということもなく、日本の名誉にかけてとかいう理由で新国立競技場は建設されたかもしれません。
しかし、消費税引き上げを始め円安で輸入物価の値上がりに苦しむ庶民にとって25000億円近い建設費は無駄にしか思えなくなったのでしょう。
今回安倍首相の一声で建設が白紙になった点も気になります。本来日本のオリンピック組織やオリンピックを管轄する文科省が建設問題を処理しなければならなかったのです。
新国立競技場建設問題は日本の持つ無責任体制の典型です。当事者の誰もやめようと言えなかったのです。あるサイトで今回の新国立競技場建設問題は勝手の日本の軍部に似ていると書いていました。
戦争をやめようにも誰も言い出せなかったのです。もし言い出せば敗戦の責任をすべて押し付けられるからです。日本のシステムは誰も責任が及ばないようになっているのです。
みんなが認めたのだからみんなの責任だというのです。責任者が多ければ多いほど負うべき責任がかるくなるのです。また有力者が一人主張すると、下の者は反論できなくなるところも以前の軍部に似ています。
今回は森さんが頑張ったので最後まで内部から新国立競技場建設の計画変更を言い出せなかったのでしょう。聖断で戦争が終結したように、行政トップの安倍さんの決断がなかったらずるずるこの問題は引き伸ばされたでしょう。
そして、一度始めたのだからいまさら引き返せないという論理で2500億円どころか3000億円くらいの費用をかけて建設が進んだでしょう。完成してオリンピックが終わった後、少子化がさらに進み無用の長物と化してでしょう。
しかし、半年くらいの期間で新国立競技場の設計ができるのでしょうか。間に合わないから今の設計で行くしかないと主張していたように思います。安倍さんの一声でなんでもできるならおかしな話です。
また予算はどうなるのでしょう。安倍さんが白紙に戻したのは世論の反発を感じて支持率低下を恐れてからでしょう。こう考えると何か安倍さんに反対することがあったらまず世論調査で支持しないと意見表明することです。
このまま支持率が30%そこそこまで下がって9月の総裁選挙で引退ということになれば一番ありがたいです。安倍さんの祖父の岸元首相も強引な政治運営で安保条約改正後引退しました。
強引さにおいては祖父譲りなので、終わりも祖父に似たものになるかもしれません。岸さんの後には穏やかな人が首相になったようですから、次の首相は谷垣さんのような穏やかな人になってもらいたいものです。
谷垣さんについては以前書いたことがありますが、金にはならないけれど、社会的に意義のある議員連盟に自ら参加したそうです。そもそも参加する議員も少なく、参加しても秘書が出席するような会議に谷垣さんが自ら参加したそうです。
その議員連盟を主催する議員も驚いたと報道されていました。中国の言葉に隠徳あるものに天報いるに陽福をもってすとあります。隠れた徳を積む者に天は目に見える形の福をもたらすという意味です。
ぜひそうなってもらいたいものです。明日は日曜日なので久しぶりにs教会です。