新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イエスキリストの復活―マルコ福音書の結び

 今日は日曜日なので恒例の聖書ネタです。1年近く続いていたマルコ福音書の講解説教も今日で終わりです。今日はおじさんが司式当番でした。

 司式とは礼拝の司会のことです。今日の聖書箇所はマルコ福音書の16章9節以下です。聖書をご覧になると分かると思いますが、そこはカッコつきで始まる箇所です。

 牧師先生の話では、この箇所は後世付け加えられた箇所なのでこのような記述の仕方なのだということでした。マルコ福音書は実はその前の8節で終わっていたのだと言うのが聖書学の定説なのだそうです。

 それではなぜ付け加えたかというと、マルコ福音書では8節で「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして誰にも何も言わなかった。おそろしかったからである。」と書かれています。

 この終わり方ではまるでホラー小説の一部のようになってしまいます。イエスキリストの復活という出来事はキリストを信じる者には重大な嬉しい知らせ(福音)なのです。

 それが、ホラー小説のような終わり方では困ります。それでマルコ福音書が完成したのち、ルカやマタイ、ヨハネなどの他の福音書の復活の記事を参考に書き足したと言われています。

 マルコ福音書ではこの部分の小見出しは「結び 一」となっています。他の福音書の終わりでこのようなものはありません。ところで結びの部分には何が書かれているのでしょうか。

 小見出しを参考に書いてみます。まず「マグダラのマリアに現れる」という小見出しがあります。彼女は西洋絵画でもしばしば取り上げられた女性です。マルコ福音書では「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。」とマリアはされています。マタイ・ヨハネ福音書に同様の記述があるようです。

 西洋の言い伝えではマグダラのマリアはあの姦淫の女だとも言われます。この女性は謎の多い女性です。ある人はイエスと結婚していたとまで主張します。

 次の小見出しは「二人の弟子に現れる」です。これはルカ福音書ではエマオの道すがらにイエスが弟子たちの前に現れた有名な出来事と同様です。西洋ではよく知られた逸話です。

 次は「弟子たちを派遣する」です。これは他のすべての福音書に出てくる話です。イエスの命令で世界中に弟子たちが伝道を始める有名な箇所です。キリスト教が世界に広まる大事なスタート地点なので、これもマルコ福音書に付け加えられたのでしょう。

 最後は「天に上げられる」です。イエスは弟子たちの前に現れた後ルカ福音書などではイエスが天に上ったとされるのです。マルコ福音書では「主イエス」という珍しい表現が使われています。

 この表現は新約聖書では極めて珍しい表現なのだそうです。世界中の教会で唱えられる使徒信条の中の言葉のもとになったものです。

 使徒信条では「天に上り全能の父なる神の右に坐したまえり」とあります。マルコ福音書では「天に上げられ、神の右の座に着かれた。」とあります。

 最後は「結び 二」です。いよいよ最後は「アーメン」という言葉で終わっています。「アーメン」とは私も全く同じですという意味です。お祈りの最後に皆でアーメンと言うのは祈った方と同じですと言う意味なのです。

 さて、これでマルコ福音書の講解説教が終わったので次はどこになるのでしょう。9月から新しい説教が始まります。8月30日は牧師の夏期休暇なのでおじさんが代理で説教します。

 説教の要略については次週書きます。今週準備をしますが、うまくいくかドキドキしています。ところで明日の株式相場はどうなるのでしょう。気がかりです。