新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

自民党総裁選挙に思う

 昨日もアメリカの株式市場が200ドル以上の値下がりでした。あやうく16000ドル割れのところまで来ました。今日は経済ネタでなく久しぶりの政治ネタです。

 まもなく自民党の総裁選挙が行われる予定ですが、もっぱら安倍総裁の無投票当選がうわさされています。取りあえず各派閥は安倍総裁支持でまとまっているようです。

 ただ一人野田聖子議員だけが立候補の動きをしています。問題は推薦議員が20人集まるかどうかです。日本の社会は同調圧力がとても強いです。日本でいじめがあるのも、一人だけ多数の意見に逆らうのが難しいからです。

 間違っていると思っても一人だけそれを主張すると仲間外れにされます。それが怖くて皆同調するのです。皆同調するので、状況が変わっても一人だけ目立つことがありません。

 その風潮に逆らおうとしているのが野田議員です。野田議員は「義を見てせざるは勇なきなり」という中国の言葉を使って意志表明をしたようです。これはおじさんに言わせればちょっと間違った使い方だと思います。「勇なきなり」はいいのですが、「義を見てせざる」の部分が気になります。

 自民党の総裁選挙に出ることが「義」になるのかと思います。もし「義」つまり「正義」であるとすれば、安倍さんは不正義ということになります。そこまでは安倍政治に反対のおじさんでも言えません。

 もしことわざを使うとすれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の方でしょう。今圧倒的に安倍さん支持の中一人立候補することはまさに身を捨てるに等しい行為です。しかし、だからこそ浮かぶ瀬もあるのです。

 ここで取りあえず安倍さんを立てて次を狙うというのは誰でも考えることです。国民もその点は見抜いています。今の安倍政治に不満な人も結構多いと思います。アベノミックスの恩恵を被っていない人も大勢います。

 そのような人の支持を今立候補すれば得ることができるでしょう。ただ推薦人20人も得られるかです。それも得られないとしたら自民党に明日はないでしょう。

 イスラエルのことわざに「十人が十人賛成したらその案はやめなさい」というのがあるそうです。どんな良い意見でもどこか問題がるはずです。安倍政治でも完璧なものではないはずです。国民が皆安倍政治を支持するなら支持率を不支持率が上回ったりしません。

 もし野田議員が立候補できたら案外支持を集めるのではと思っています。支持数次第では次の総裁候補にもなれます。このまま立候補できなくても、自分の立場を示したということで党内に力を示すことができます。

 おじさんは野田議員には少し期待しています。と言うのはご存じの方もおられると思いますが、野田議員のお子さんは障害をもっています。自ら困難を抱えている人は他人の困難を理解することができます。

 坊ちゃん嬢ちゃんで育った議員とは違います。中国の習国家主席の強みは若いころ苦労したことです。田舎にやられてそこから立ち上がったのです。安倍さんのように若いころからぬくぬくと育った人とは違います。

 若いころの苦労は買ってでもせよと言う言葉があります。中国の指導者の中にはこの言葉通りの人が結構いるのです。政治は一寸先は闇ですから、これから何が起こるか分かりません。

 来週の総裁選挙が楽しみです。明日は日曜日なので教会です。長老会(役員会)があります。