新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人間を作られる神ー創世記より

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。ブログを書いていて困るのは今日何を書こうか迷うことです。簡単に言えばブログのネタ切れの場合です。

 このところ安倍政権に関する政治ネタとかジェットコースターのように乱高下する株式ネタとか海外でも移民の流入に苦慮するEU諸国ついてなどネタに困りません。

 最近は逆に何を書くか迷うほどです。そうでない時は日曜日の教会ネタはありがたいです。さて今日は先週に続いて創世記の話です。

 先週は神が世界を作った話が中心でしたが、今日は人間を作った話です。聖書箇所でいえば創世記1章26節以下の部分です。

 人間を作るにあたって神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言われます。「我々」と神の部分が複数形になっているのは、複数の神がいるのではなく、天使などの神の使いも含めて複数形になっているのだそうです。今日の説教で初めて知りました。

 その後でも「神はご自分にかたどって人を創造された。」とあります。「かたどって」は姿形を似せてという意味もありますが、心も似せてという意味もあると思います。人間の中にある神性は人間が神自身をかたどって作ったからだとも言えます。

 「神にかたどって創造された。」と言う表現が続けてでてきます。この部分を強調したいからだと思います。それに続いて「男と女に創造された。」とあります。有名なアダムのあばら骨の一部から女を作った話はこの後出てきます。

 人間が具体的に作られる話はこの後です。ここでも人間とは何かについて重要な問題を含んでいます。今生命倫理と言ったことが問題になっていますが、それを考えるヒントが創世記のこの部分と2章にあります。

 もう一つ象徴的なのは自然界と人間の関係です。日本では自然があって人間があると言う考え方ですが、聖書では異なっています。

 聖書では「神は彼らを祝福して言われた。」とあります。この場合の彼らとは男と女でしょう。なぜなら「男と女に創造された。」という箇所に続いているからです。

 人間に「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ」と神は命じるのです。「支配することができる」とか「支配してもよい」でなく「支配せよ」と命令形になっています。

 また植物についても「全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を全てあなたたちに与えよう。」と言うもです。

 自然界の動物も植物も全て人間の支配下にあることを神は宣言しているのです。自然の中に人間が包括される日本の自然観とずいぶん異なっています。

 キリスト教世界と日本の自然をめぐる考え方の違いを理解しないと文化摩擦を起こす可能性があります。よく言われるように、自然のままが一番良いというのが日本で自然のままというのは人間の力の及ばない野蛮な状態であるというのがキリスト教世界の考え方なのです。

 その違いは太陽神である天照大神を始祖とする日本と、人間に自然のすべてを支配する力を与えた旧約聖書の神との違いなのです。

 来週は安息日についての説教があります。月曜日はひょんなことから県庁所在地にある日本語学校で作文を教えることになりました。ペイは以前勤務した学校に比べると問題にならないくらい安いのですが、これから毎日が日曜日ではつまらないので週一だけ働くことにしました。(90分2コマ)

 ちょうど次女がその学校の近くに転居したのでますます都合がいいです。学校のことはまた後日ブログに書きます。