新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

安息日を覚えてこれを聖とせよ。

 今日は日曜日なので教会です。今教会の説教は創世記の講解説説教です。今日は創世記の2章1節からです。1章では天地の創造です。天地創造の1日目から6日目までが1章の終わりです。

 2章はこの天地創造が終わった7日目の話です。2章の1節は「天地万物は完成された」で始まります。「第七の日に、神はご自分の仕事をはなれ、安息なさった。」と続きます。

 神様であっても6日間働いたので疲れたようです。そして神は「安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」と続きます。

 この第七日の重要なポイントはこの日を神が祝福し、聖別されたことです。聖別というのは文字通り聖なるものとして他と区別したということです。

 教会では日曜日を聖日としています。主日と言うこともあります。この場合の主は神様の意味です。日曜日だけは他の6日間と違うのです。

 モーセ十戒でも「安息日を覚えて聖とせよ」という一節があります。古代ユダヤ教徒にとって安息日を守ると言うのはとても重要なことでした。

 福音書の中にも安息日にイエスと弟子たちが麦の穂を摘んで食べたのを見てファリサイ派の学者が非難した出来事がありました。また、ユダヤ教の解釈の中には安息日にしてよい項目が挙げられています。

 現代では日曜日は安息日つまり仕事をしない日になってはいますが、聖なる日とはなっていません。現代においては日曜日に休めない人もいます。

 しかし、安息日を守れなくても1週間に1日ある聖なる日を覚えることはできます。その1日を聖なる日とするなら、聖なる行いをすればよいのです。。

 日曜日に礼拝に出れなければ他の日の祈りの日に出ればよいのです。そういえば、中国の教会では火曜日の夜に礼拝がありました。確か英語の礼拝だったと思います。

 日曜日にも朝8時・朝10時・午後2時・夜7時と4回も礼拝がありました。聖なる日を守るため中国でも1日に何回も礼拝があったのです。一番中心は朝10時からです。

 日本でこれだけの礼拝を準備できませんが、聖なる日を守る姿勢だけは分かります。明日は相場が休みなのでつまらないです。