新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

人は何によって作られたのか

 今日は日曜日なので教会ネタです。今日の説教から書きます。ところで以前と言っても10年以上前ですが、一時クローンが話題になったことがあります。

 最近クローンについてほとんど話を聞かないのでどうなったのでしょう。クローンの羊が作られたと言って話題になったものです。

 クローンの羊が作れるのだから最終的にはクローン人間が出てくるのではと言われたものです。その頃おじさんは小論文指導をやっていたので、生命倫理としてクローン人間の問題を考えたことがあります。

 ところで今日のテーマは人間の創造です。聖書箇所でいえば創世記2章4節~17節です。アダムの誕生と楽園の木の実の話です。この箇所の後に女の創造の話が続き、さらに蛇の誘惑によって二人が善悪の知識の木の実を食べて楽園を追放される話になります。

 それでは人間はどのようにして作られたのでしょうか。「神はご自分にかたどって人を創造された。」とあります。自分に「かたどって」と言うのは外見というより内面的なものでしょう。

 人間の持つ神性と獣性の比喩だと思います。具体的には「主なる神は土(アダマ)から塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」のです。

 人間が土から作られたという比喩は理解できます。土から作られた故に死ねば土に帰るのです。おじさんの教会の墓地は土に帰るたもの穴を作っています。納骨堂が満員になったら、古い方から順に土に帰すのです。

 おじさんもこの考え方に賛成です。さて、土で作った土人形と人間とどこが違うのでしょうか。それは神が土で出来た人形に「命の息」を吹き込んだところです。

 人間が人間となるためには神からその鼻に息を吹きかけてもらわなければならないのです。神の力によって土人形が生きた人間となるのです。

 そういう点から言えばクローン人間は神の息を吹き込まれていないのです。男と女がいて子供が誕生する場合、そこには神の息が吹き込まれます。

 しかし、人間が科学的操作によって生まれた場合、その人間には神の息が吹き込まれていないのです。単なる人形と同じです。さすがにこの数十年の間クローン人間を作る動きはありません。

 人間の持つ理性がそれを止めているのかもしれません。人間が神の領域に踏み込むとき、人間には恐ろしい神の怒りが示されるでしょう。もちろん人間は神から与えられた理性によってそれを防ぐことができます。

 人間が神の息によって人間となったのですから、人間は皆尊いものだと言えます。そう考えるとわずかな違いで人をいじめる、いじめ行為は許されないことだと思います。

 月曜日はまた仕事です。明日は忙しいのでブログはお休みです。外国人特に東アジア以外の国の人に日本語特に作文指導をするのは相当大変そうです。