新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教会員のお葬式に出て思ったことー死への備え

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日は土曜日にあった教会員の方のお葬式に出て思たことを書きます。

 この方は60代後半でおじさんより少し若い女性の方です。長老(役員)として長年教会のために奉仕されました。音楽も堪能で奏楽者としても奉仕されました。

 自己免疫に関する病で今年の春から入院しておられましたが、今週にも退院と言うところで急死されたのです。ご遺族の方はひどい悲しみに包まれていると思います。

 ツマクマは7月に亡くなったのですが、病気が分かった時点ですでに死を待つしかない状態でした。その中にあって2年5ケ月もの間皆で看病したので、残された遺族としては、精一杯のことをしたという達成感はありました。

 しかし、退院を目前にしての急死は残された遺族の方には受け入れがたいものがあると思います。さて、思いがけない教会員の方の急死を見て思ったことがあります。

 自分もいつ神様のお迎えが来るか分からないので準備しなければならないと言うことです。この世的な意味でいえば、ささやかでも遺産が残るのでその配分を決めておかなければならないことです。

 まず自分の財産目録を作って、どことどこの銀行や郵便局に預けているのか、証券会社はどこかを子供達に分かるようにしなければなりません。また遺産配分についても公正証書にしてもめないようにしなければなりません。

 公正証書にすると、子供達の遺産相続の手続きが簡単になります。会社務めの中、銀行や証券会社や法務局を回るのは大変です。何度も行って書類をそろえるのも大変です。公正証書だとずいぶん簡単です。

 生保などについても何があるか、どこの会社か知らせておく必要があります。不動産については難しいところがあります。一人に相続させると不公平になるし、さりとて共有だと売ったりするとき面倒です。

 まあ、それはおじさんが判断しなければならないところです。教会員としては、葬儀の時に歌ってもらう愛唱歌を子供達に知らせておかなければなりません。

 また、葬儀に来てもらう人と葬儀後に亡くなったことを連絡してもらう人を教えておかなければなりません。年賀状などで判断しなければなりません。

 今回の葬儀では亡くなった方の希望として、最後にご遺体の顔を見ると言うのを断られました。生きて居た時の元気な顔の思い出のままでいてほしというのです。

 これまでのおじさんの葬儀の記憶でもなかったことです。もちろんおじさんは亡くなった顔をみなさんに見てもらっても平気ですが。

 そういえばツマクマの時はお葬式の写真を事前に自分で選んでいました。ですから、葬儀屋さんに言われた時もすぐ準備できました。おじさんも準備するつもりです。

 死はいつ訪れるか分かりません。おじさんの歳になると毎年のように同年齢の人が亡くなります。まさに備えあれば患いなしです。今週は忙しいのでしばらくブログをお休みすると思います。明日は週一の授業です。また悪戦苦闘せねばなりません。