新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

サウダージー青春を振り返る旅

 久しぶりのブログです。火曜日から今日まで青春を振り返る旅に行っていました。おじさんの青春は関西地方の某県での5年間の生活です。

 大人になって一番大切かつ影響を与えるのは新人の時代の経験です。この時の経験が一生を左右するとまで言われます。やっと暇ができたので、青春を振り返る旅に出たのです。ツマクマが生きているときは仕事をし、病気になってからは仕事を辞めて看病と介護で過ごしました。

 ツマクマが元気であれば一緒に行けたのですが、それもかないませんでした。最初の日は、おじさんの中国時代の一番弟子のいる広島です。歴史的に有名な宮島に行ったことがなかったのです。

 それで一番弟子に案内してもらって宮島を見学しました。一番弟子はスポーツもやっていたので、厳島神社とその裏の弥山という山に登りました。

 と言っても途中まではロープウェイです。最後の頂上までは30分余り歩きました。結構大変でした。大きな岩がごろごろしていました。磐座(いわくら)という地名もありました。

 これは神様の宿る岩という意味です。あちこちにこの場所があります。一番有名なのは世界遺産への登録を目指している沖ノ島です。

 次の日からが青春を振り返る旅です。まず姫路まで新幹線に乗りその後JRです。一時間に一本しかない地方線に乗って初めて勤務した高校へ行きました。正門から見える風景はおじさんがいた時のままでした。

 この工業高校での3年間が今の自分を作ったと思っています。教え子もすでに60才になっています。漫画(ビーバップハイスクール)の世界のような日々でした。その頃は田んぼの中にぽつんとある感じでしたが、ずいぶん開けていました。

 最初の半年住んだ家のあたりに行って見ると逆にずいぶん寂れていました。その町の繁華街も今は完全にシャッター街です。

 次に下宿をしていた隣の町へ行きました。1時間に1本しかない私鉄です。おじさんが住んでいたあたりはすっかり変わっていました。この町は県庁所在地へもつながる私鉄があって、市の郊外に巨大な団地ができています。おじさんが通った教会にも行ってみました。建て替わってすっかり立派になっていました。

 最後に結婚して最初に住んだアパートのある町へ行ってみました。このアパートに居る時長女が生まれたのです。住んでいたアパートは新しいアパートに立て替わったいました。しかし、アパートの隣の家は昔のままでした。

 その町の教会にも行ったみました。ここはツマクマが洗礼を受けた教会です。きれいに建て替わっていました。そこの方に聞くと阪神大震災の影響があったので建て替えたとのことでした。

 次の日は工業高校の次に勤務した学校です。ここは高級住宅街の中にあります。阪急沿線とだけ書いておきます。阪急電車から見えるのです。おじさんがいた頃より多くの住宅ができていました。

 次に結婚後先述したアパートから引っ越した職員住宅を見に行きました。その住宅のあったところは当時最新の新興住宅街でした。それがあだとなって、今は寂れています。若者が都会に出てすっかり寂れたのです。

 おじさんが通勤したいた頃は駅員さんもいた駅は今は無人駅になっていました。栄枯盛衰です。その日が大阪に泊まって次女のお婿さんと会いました。

 おじさんは初めて鳥貴族という居酒屋へ行きました。名前は知っていたのですが、行くのは初めてでした。おいしかったです。

 こうしておじさんの青春を振り返る旅は終わりました。地元にいる教え子さんに連絡すれば、集まってくれたと思うのですが、皆忙しいので、ひっそり旅しました。

 そういえば宮島に居る時おじさんが登録していた教育員会から、中学で15時間講師をやらないかと言ってきました。引き受けたら月10万を超える収入があるのですが、時間の方が大切なので、週に6時間くらいしかできないと答えておきました。

 お金は入らないくせに、おじさんは昔から仕事だけはどんどん舞い込んでくるのです。株の方も順調に値上がりしているようで、うれしいです。明日は義母と義弟が来ます。