「どこにいるのか」神からのよびかけ
今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。このところ継続して創世記の説教がなされています。今日は有名なエバが蛇の誘いに乗って善悪の木の実を食べる話です。
現在の聖書では「善悪の知識の木」となっていますが、以前は「知恵の木の実」とも言われていました。神様が食べてはいけないと言われたのは「善悪」を人間が判断してはならないからです。
道徳を否定するわけではありません。善悪と言うのは実に難しいものです。ある時代善であったものが、別の時代では悪となり、逆のこともしばしば起こります。
また、同じ時代であっても社会が違えば何が善で何が悪なのかも異なります。エデンの園では善悪の知識は全て神にゆだね、人間が勝手に判断しては危険だというので、神様は食べるのを禁じたのでしょう。
この実を食べて二人は自分たちが裸であることを恥じます。恥じると言うのは規範意識です。つまり、これは良い、これは悪いと判断できるようになったのです。
善悪の木の実を食べた二人は早速善悪の判断ができるようになったのです。それだけではありません。神様の足音を聞いて隠れてしまうのです。
これまで裸でも神様の前に堂々とでることができました。しかし、今は腰の周りをいちじくの葉で覆っているのに神様の前にでることができなかったのです。
善悪の木の実を食べた二人は今自分たちのしたことが悪であるこを知ったのです。罪の自覚です。それで神様の目から逃れようとします。
しかし、神様はそのような人間たちに向かって呼びかけます。「どこにいるのか」。この問いかけは今でも続いているのでしょう。キリスト教ではこの呼びかけを原始福音と呼びます。
キリストの到来による福音の前に、神様自身の呼びかけによる福音があったと言う意味です。ちなみに「福音」というのは喜ばしい訪れあるいは嬉しいニュースの意味です。
今でも私たちに「どこにいるのか」と心配して声をかけてくださる神様がおられるのはうれしいことです。そして新約聖書の時代神様はわたしたちの救いのためにイエス様を送ってくださったというのが、キリスト教徒の信仰なのです。
今日から娘たちが来てツマクマの着物整理をします。明日は呉服屋さんに勤めている娘の友人の方が来て着物を見てくれるようです。買った時は高価でも次に売るときは本当に安い値段になると思います。
結構沢山ツマクマは着物をもっているので整理が大変です。