新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

民信無くんば立たずー企業の不祥事に思う

 タイトルの意味は「民に信義の心がなければ、国は成り立たない」と言う意味です。出典は論語です。ずいぶん昔フランシス・フクヤマの「トラスト」と言う本を読んだことがあります。

 トラストと言うのは信頼とか言った意味です。彼の本によれば、高度に相互信頼のおける国は、そうでない国に対して有利であると言うのです。

 相互に信頼のおけない国は、相手の信頼とチェックするために膨大な手間暇をかけないといけない。逆に信頼がおける国は、その費用と機会を省くことができるというのです。

 その中で儒教国家は道徳として信義を重視していると言います。確かに儒教では信と義は重要な徳目です。約束を守るとか時間を守ると言うのはそこから来ています。

 同様にプロテスタント国家も神が見ているので信義に反することはしないという道徳があると言うのです。確かにプロテスタント国家のドイツやアメリカは近代国家として成功しました。

 東アジアの日本や台湾、中国、韓国なども成功しました。しかし、このところ民に信義の心がなくなっている例が増えています。

 どうもそれは日本だけではなさそうです。ドイツのVW社の偽装事件は企業の根底を揺るがすものです。東芝のケースもそうです。

 VWにしても東芝にしても、その国を代表する企業と言っても過言ではありません。先日の旭化成の子会社のケースや東洋ゴムのケースはさらに深刻です。

 この二つのケースは即人間の生存にかかわるものだからです。最近日本は素晴らしいという番組がマスコミで報道されますが、企業の不祥事を見る限りそんなに手放しで喜んでばかりいられません。

 公務員の不祥事特に警察官の不祥事が連発しています。中には人を殺す警察官までいます。どの時代にもひどい企業があり、ひどい人がいると言えばそうですが、このところのケースはちょっと極端だと思います。

 だからと言って安倍政権の言うように、道徳教育をすれば良いと言うものではありません。道徳は社会全体が守ろうと言う意志を示さなければ守れるものではないからです。

 明日は日曜日なので教会です。今日は珍しく一人で近くの温泉に行きました。