新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「お迎え」についてーツマクマの死で思ったこと

 明日はツマクマの納骨です。教会では通常納骨はイースター(復活祭)の時か召天者記念礼拝の日に行います。明日は教会の召天者記念礼拝の日なのです。

 この日は納骨をするだけなく、召天者を記念して教会員で墓地にお参りに行きます。そして、墓前礼拝をするのです。その後納骨をします。

 ところで、先日本屋さんに行ったら「お迎え」について書いた本が出ていました。お迎えというのは、人が亡くなるときにお迎えが来ると言うあれです。

 仏教説話などを読むとよくこの話が出てきます。仏画でいえば来迎図です。観音菩薩が雲に乗ってお迎えにくるのです。

 また臨死体験などと言うのもこれに近い物です。人が死に臨むとき起こる現象です。今日はツマクマの義母や義妹、長女などが家に集まって亡くなる前の話をしました。

 ツマクマはちょうど1年前主治医から余命宣告をされました。おじさんだけが別室に呼ばれて残り3月の余命ですと言われました。もう一人の担当医も最大もって4月でしょうと言われました。

 ちょうどその時は放射線治療を受けていて最悪の健康状態でした。検査の数値が相当悪くて本当にいつ亡くなっても不思議でない状態でした。

 ツマクマ本人もそれは自覚していたようです。その時にタイトルに書いたお迎え体験をしたのです。本人は夢ではないと言います。夜寝ているとベッドの周りに見知らぬ人が大勢いて自分を囲んでいるというのです。

 そして、死んだ自分がベッドの自分を見下ろしていると言うのです。はっきり顔は見えないが自分だと分かったと言うのです。

 これは先述した「お迎え」の本にも出ていることです。知っている人が迎えに来ることもあるし、知らない人が迎えに来ることもあると言うのです。

 ツマクマの場合は知らない人でした。しかし、現実にはツマクマはその時死にませんでした。11月に退院してからは元気を取り戻して、結局今年の7月まで7ケ月生きることができました。
 
 退院してからは緩和ケアーにかかっていましたが、自宅で過ごし結局亡くなる直前の1週間入院しただけです。入院した時は担当の先生から残り1週間の命ですと言われました。

 事実1週間後に亡くなりました。入院して3日目くらいから意識がなくなり、臨死体験について語ることはありませんでした。ただいよいよ意識がなくなる直前に一度意識が回復してにっこり笑いかけました。

 義妹や次女と孫がいたのですが、それを見てすぐ写真に撮りました。今日はその写真を見て盛り上がりました。今日もツマクマが残した着物や洋服について形見分けをしています。

 先日はツマクマの名義になっている軽自動車の名義変更の通知がきました。でかけて行って名義変更をしなければなりません。亡くなって4月目になるのにまだ死後の事務処理が残っています。

 不動産関係の事務処理が昨日終わりました。こちらは来年の確定申告時期にかなりの額を納税せねばなりません。まあそれでおじさんが死んだ後の相続で子供達が困らず済むのでそれはそれでよいと思っています。

 税金を減らすにはさまざまな手段があったのですが、結局相続時にもめたら何もならないので、お金で済めばと思って決断しました。

 明日は納骨の後長老会(役員会)があり、月曜日は学校ですから、しばらくブログはお休みです。