新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

納骨が終わりました。ー亡くなってからの宗教的儀式

 日曜日に納骨が終わりました。これで取りあえずツマクマの亡くなった後の宗教的儀式は終わりです。亡くなる前後の宗教的儀式は牧師さんによって微妙に異なるようです。

 いよいよ危ないと分かった時臨終の祈りをする場合もあります。ツマクマも亡くなる数日前に前の牧師さんが来られて祈られました。人によっては亡くなった時に牧師さんが来て祈ったり讃美歌を歌ったりする場合もあります。

 ツマクマの場合は夜遅くまた教会から離れていたのでそれはありませんでした。亡くなった後は遺体を教会に運びました。お通夜に該当する時間帯は教会で過ごしました。仏教の場合ですと夜とぎと言って、遺体のそばに親族が付きそうのですが、キリスト教の場合それは基本的にありません。

 牧師さんによれば、中には付き添う方もいるそうですが、基本的には付き添いません。教会は神の家であり、キリストがともにいて遺体を守ってくださるからです。

 おじさんもその考えに賛成です。子供達も納得してくれました。それゆえ礼拝堂は聖なる場所であり、雑談をしたり冗談を言い合って笑ったりするところではないのです。

 今回知ったのは納棺の際の儀式があることです。牧師さんから3時に納棺するから来てくださいと言われました。納棺するまでは布団に寝かせているのです。もちろん遺体の寝ていた布団など日常で使えませんからこれは葬儀社の方で用意してくれました。

 納棺が終わるとそれまで寝かせていた和室から礼拝堂に移します。そして仏教の通夜にあたる前夜式があります。次の日葬儀があって、火葬場でお骨になって家に帰ります。

 キリスト教では仏壇のようなものはありません。葬儀社の方からちょっとした台をいただいたので、それに写真とお骨を飾っていました。今回骨壺は大きなものと小さなものがありました。

 大きな方を今回納骨しました。小さな方は喉ぼとけに相当するところが入っています。コップくらいの大きさです。これはおじさんが亡くなった時や遺骨を管理できなくなった時、納骨してもらうつもりです。

 納骨式ですが、とくに何か儀式があるわけではありません。墓前礼拝(墓地の前で礼拝を行う)の後納骨堂に納骨しました。納骨堂にはツマクマの名前が張り付けてあった、そこに納骨します。また、納骨堂の入り口には石のプレートあってそこにツマクマの名前と生年月日及び亡くなった日が彫られています。

 仏教でお寺の納骨堂に納骨すると結構なお金がいります。まず納骨堂のスペースを結構なお金で買わなければならないし、その後の管理料もいります。教会の場合納骨堂自身が教会の一部なので納骨料は不要です。

 もちろん納骨堂の管理費も教会負担です。教会では建物墓地管理会計という特別会計をもっています。もし墓地が破損したりしたらそこからお金を支出します。

 納骨の際の壁のプレートの彫り込むお金は実費負担です1文字いくらなので、人によって彫る字数が違うからです。

 これで取りあえず今年の宗教的儀式は終わりです。来年春のイースターの時に墓前礼拝があります。多分子供達が来ると思います。次が7月の記念会です。法事に該当するものです。家族や親類の人教会の人などが集まります。1年の記念会の後は5年目を考えています。記念会は決まった年数は教会の場合ありません。

 1年目はほとんどの方がしますが、後は3年であったり5年であったりです。また家族だけでホテルでしたり、教会でしたりとばらばらです。

 今日は人が亡くなった時の教会の宗教的儀式について書きました。明日は家の軽自動車がツマクマの名義になっているので、それの変更に行きます。