新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

旅立ちへの道筋ーツマクマの場合

 今日は日曜日なので教会でした。礼拝後壮年会がありました。今「日本基督教団信仰告白」を解説した本を輪読しています。今は「使徒信条」に入りました。

 「天に昇り全能の父なる神の右に座したまえり」という部分です。ところで今日はツマクマが亡くなってちょうど4ケ月目になります。7月8日の午後10時41分に亡くなったのです。

 それで今日は旅立ちへの道筋について書きます。亡くなる1週間前に通っていた病院の緩和ケアー病棟に入院しました。その時その病室に「旅立ちについて」というパンフレットがありました。

 旅立ちとは当然この世を旅立ちもう一つの別の世界に行くことです。なかなか良いネーミングだと思いました。その病室に居る人は皆それを読むのです。

 実は亡くなる1月くらい前にエンディングノートをもらいました。しかし、さすがにツマクマはそれに書きこむことはしませんでした。おじさんも書くことを勧めることはできませんでした。

 病室にあった「旅立ちについて」というパンフレットによれば、亡くなる1月前くらいから意識がだんだんなくなるとありました。これはツマクマの場合全くあてはまりませんでした。

 ツマクマが入院した1月前の日記を見てみると何とおじさんと一緒に別荘へ行って玉ねぎを収穫しているのです。別荘まで高速で1時間半かかります。往復で3時間です。その自動車の旅をなんなくこなしているのです。

 亡くなる3週間前が誕生日でした。それで子供達や長女のお婿さんと食事に行っています。沢山は食べれませんでしたが、焼肉屋さんで盛り上がっていました。その時の写真を今も飾っています。

 亡くなる10日前くらいから意識障害がでました。それで、入院させることにしたのです。意識障害は自分が病気であることを忘れてしまうことです。

 すでに腰にも癌が転移し歩くことが不自由になっていたのです。そのことを忘れてつい自分で歩こうとして転倒したのです。

 木曜日に入院しました。その時はかなりふらついていました。それでも意識ははっきりしていました。入院すると担当の先生から残り1週間でしょうと言われました。

 金曜日くらいからうつらうつらするようになりました。これは「旅立ちについて」に書いてあった通りです。理由は痛み止めのために医療麻薬のためだとも癌が脳に転移していたためだとも言われます。

 痛みを抑えるために24時間医療麻薬を注射していました。これはこれで良かったと思います。先述の冊子によれば、意識はなくても耳は最後まで聞こえているということでした。

 土曜日には前の牧師先生が来てくださって耳元でお祈りをしてくれたそうです。その時ツマクマは涙を流したと義妹から聞きました。おじさんはその時いませんでした。

 その後突然意識が戻ってにっこり笑ったそうです。急いで写真に撮ってそうです。おじさんも後から見せてもらいましたが、本当にうれしそうに笑っていました。

 これが意識のある最後でした。その後日・月・火と意識は戻りませんでした。月曜日と火曜日は容態が悪いということで真夜中に呼ばれました。

 それでいよいよと思って水曜日は泊まるつもりで行きました。夕方になって容態が落ち着いているようだったので、子供達と夕食に出かけました。

 夜の8時ころに病室に帰ると呼吸が乱れていました。看護師さんがいよいよ今日が峠でしょうと言われました。覚悟はしていたのですが、とうとう来たのかと思いました。

 夜9時過ぎると呼吸がしたり止まったりしました。いよいよ最後だと思た時、家に残っている孫に電話しました。すると孫の声を聞いたツマクマは涙を流したそうです。おじさんには見えませんでしたが。

 看護師さんが来ていよいよ臨終なのでと言って当直の医者を呼びに行きました。その時には完全に呼吸は泊まっていました。医者は緩和ケアーの人ではなく耳鼻科の女医さんでした。

 型どおりの診察をしてご臨終ですと言いました。子供達や孫たち、それにおじさんと義妹に見守られての旅立ちでした。穏やかな顔でした。

 先日亡くなった教会員の方は誰にもみとられず突然死しました。いろいろな旅立ちの仕方があるのだと思いました。おじさんはどんな形で旅立ちをするのか分かりません。

 身近な人の死を見てキリスト教の信仰があって良かったと思いました。明日は学校なので帰りが遅くなります。ということでブログはお休みです。