「一粒の麦」のたとえ
今日は日曜日なので恒例の聖書ネタです。今日は先日おじさんが教会学校で話したことについて書きます。聖書箇所でいえばヨハネ福音書12章の12節以下です。
イエスの答えは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」と言うものです。ここからあの有名なアンドレジードの「一粒の麦もし死なば」と言う小説の題名ができたのです。
その後に続いてイエスは「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠のいのちに至る。」と言うのです。
まさに逆説的表現です。普通であれば、自分の命を大事にする人が命を全うし、自分の命を憎む人は命を失うということになるのです。
おじさんも一粒の麦もし死なばという言葉を聞いた時、大学生の頃でしたが、受け入れにくいと思いました。なにより命が大切なのではないかと思ったからです。
この言葉は歎異抄の「善人なおもて往生をとぐ、悪人においてをや」と言う言葉にも通じます。よく考えてみれば、日本のことわざに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言います。
一粒の麦にしても、自分に固執すれば、それで終わりです。しかし、一旦自分を捨ててみれば、後になって多くの実を結ぶのです。
聖書の言葉は一見逆説に満ちているようですが、深く考えてみるとその真理が見えてきます。明日は学校で忙しいのでブログはお休みです。