新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

専門学校の忘年会がありました。

 昨日次女の家に泊まったので教会はお休みです。昨日今勤務している学校の忘年会がありました。学校の食堂で忘年会と言うのでさぞしょぼい内容だろうと思ったのですが、全然違っていました。

 行ってみて初めてなぜ一次会を学校の食堂で開くのか分かりました。おじさんの勤務する学校は大きな組織として学園本部というのがあります。

 その下に日本語学校と一応大学校と言う仰々しい名前のついた専門学校があります。全者は日本語だけを教えるところで、何と800人近い学生さんがいるのです。おじさんの勤務するのは大学校の方で、こちらは日本語の授業は少ないです。その代りコンピューター関係の授業やビジネス関係の授業が多いのです。

 その他に日本語教師養成コースや国際開発ビジネスなどのコースもあります。これらが200人くらいです。合計で1000名もの学生のいる大規模校なのです。

 大学校の方は学生さんも少ないので先生や事務の人も少ないです。常勤非常勤で30人くらいです。こちらの方しか知らなかったので、某宴会と言ってもせいぜい2~30人くらだと思ったのです。

 ところが出席者は何と60人近くもいるのです。もちろん、おじさんの所属する大学校側の出席者は10人くらいです。日本語学校の先生ばかりでした。

 学園長の話では学園全体で職員が常勤非常勤含めて100人近くいるそうです。60人も入る忘年会の会場を探すのが大変なので、食堂だったようです。

 内容はお寿司にさまざまな料理、ビールにワインと結構な内容でした。食堂に移動式スクリーンを設置してカラオケまで始めたことです。食堂というより、ちょっとした宴会場のムードでした。

 驚いたのは途中入社の社員が多いことです。4月10月の2回だけでなく、1月前に入社したという人も結構いました。学園長の話では去年は一気に日本語教師が13人くらい辞めたそうです。

 とにかく人の出入りの激しい学校です。おじさんは9月から勤務したのですが、4ケ月くらいの間に教務課長と校長がいなくなりました。

 以前から興味のあった事務部長と話すことができました。とても立派な雰囲気の人で行政関係(県とか市の関係)の人の雰囲気がありました。

 非常勤講師の仲間のある方があの人は自衛隊から来たと話たのを聞いてますます不思議な人だと思いました。昨日チャンスがあったので聞くと立派なキャリアの自衛官だったようです。

 専門は砲兵でご自分では大砲屋と言っていました。二佐で終わったそうです。二佐というのは、防大を出てCGS(指揮幕僚課程 旧軍の陸軍大学)を出ないとこの階級で終わるのです。

 すごかったのは、現場の部隊だけでなく、富士学校という軍事技術の専門コースのある学校の教官と幹部候補生学校の教官をしていたことです。それに地連の課長もしていたようです。

 学校系が長かったのでこの学校に来たと仰っていました。二佐だと56才で退官なので納得できました。その他いろいろな経歴の方がいました。ミャンマーで日本語を教えて居たという方はおじさんのいた町の別の大学に留学していたそうです。

 謎の多い学校ですが忘年会に出ていろいろなことが分かりました。まだまだ発展途上の学校です。創始者の腕がよくてここまで大きくなったようです。

 明日はいろいろ事務手続きで忙しいです。