新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「アブラハム」ってご存じですか。ー「信仰義認」との関連で

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。明日の相場も気になりますが、聖なる日曜日には聖なるものについて書くことにしましょう。

 さて、礼拝では連続して「創世記」の講解説教がなされています。もちろん、新約聖書のように章ごとに連続して説教がなされるものではありません。

 今日はアブラハムの信仰についてでした。聖書でいえば創世記15章1節~6節です。旧約聖書を基にしたのがユダヤ教です。

 そのユダヤ教の始祖ともいえるのがアブラハムです。彼はノアの箱舟で有名なノアの子孫なのです。ノアの息子の一人セムの子孫なのです。

 アブラハムは信仰深い人で、13章ではエジプトから故郷に帰った時、そこは「彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を読んだ場所」であったとあるほどです。アブラハムがエジプトに行ったのは「その地方に飢饉があった」ためなのです。

 アブラハムが故郷に帰ってからは、敵が侵入してアブラハムの甥を拉致します。その後アブラハムは家の子や奴隷を率いて敵を打倒し甥を救出するのです。

 今日の箇所は「これらのことの後で、主の言葉が幻の中で臨んだ」時のことです。まず主は「怖れるな」とアブラハムに呼びかけます。アブラハムと書きましたが、これは後に改名したもので、当時は「アブラム」と言っていました。

 次に主は「わたしはあなたの盾である」と言うのです。主はアブラハムを守る存在だと言うのです。そして「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」と言うのです。

 ところがアブラハムには大きな悩みがあったのです。それは彼に子供がいないことです。当時の社会では跡継ぎがいないと言うことは大変なことだったのです。

 アブラハムは子供がいないので、「僕」(しもべ 家来)の一人に跡をつがせようと思っていたのです。アブラハムにとって、子供がいないのに、大きな報いがあると言っても信じられなかったのです。

 そして、主は「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と言い、彼に子供が生まれることを約束します。それだけでなく「主は彼を外に連れ出して」次のように言うのです。「あなたの子孫」は天の星の数のように数えきれないほどになろう言うのです。

 とてもドラマチックな場面です。砂漠の夜空にはきらめく星が無数に見えたでしょう。主がアブラハムをテントの外に連れ出して星空を指して語りけているのです。

 しかし、それをアブラハムが信じなければ、何もなりません。聖書は「アブラハムは主を信じた」と書きます。それに対して主は「それを彼の義と認められた。」とあります。

 プロテスタントの教えに信仰義認というのがありますが、これも同様です。「信仰によって義と認められる」という意味です。

 アブラハムは神を信じる信仰によって主に義なる者と認められたのです。アブラハムの物語はさらに続きます。そこには家族を巡る現代同様の問題があるのです。来週はそれについての説教がなされます。

 明日は授業で遅くなるのでブログはお休みです。明日の相場がどうなるか注目されます。