「アブラハム」ってご存じですか。ー「信仰義認」との関連で
今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。明日の相場も気になりますが、聖なる日曜日には聖なるものについて書くことにしましょう。
さて、礼拝では連続して「創世記」の講解説教がなされています。もちろん、新約聖書のように章ごとに連続して説教がなされるものではありません。
アブラハムは信仰深い人で、13章ではエジプトから故郷に帰った時、そこは「彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を読んだ場所」であったとあるほどです。アブラハムがエジプトに行ったのは「その地方に飢饉があった」ためなのです。
今日の箇所は「これらのことの後で、主の言葉が幻の中で臨んだ」時のことです。まず主は「怖れるな」とアブラハムに呼びかけます。アブラハムと書きましたが、これは後に改名したもので、当時は「アブラム」と言っていました。
次に主は「わたしはあなたの盾である」と言うのです。主はアブラハムを守る存在だと言うのです。そして「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」と言うのです。
ところがアブラハムには大きな悩みがあったのです。それは彼に子供がいないことです。当時の社会では跡継ぎがいないと言うことは大変なことだったのです。
そして、主は「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と言い、彼に子供が生まれることを約束します。それだけでなく「主は彼を外に連れ出して」次のように言うのです。「あなたの子孫」は天の星の数のように数えきれないほどになろう言うのです。
とてもドラマチックな場面です。砂漠の夜空にはきらめく星が無数に見えたでしょう。主がアブラハムをテントの外に連れ出して星空を指して語りけているのです。
プロテスタントの教えに信仰義認というのがありますが、これも同様です。「信仰によって義と認められる」という意味です。
明日は授業で遅くなるのでブログはお休みです。明日の相場がどうなるか注目されます。