新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

がん患者とうつ症状ーツマクマの場合

 今日は暗い話なので、興味のない方はパスしていただいて結構です。2月22日でツマクマががんの宣告を受けて3年目になります。

 今年の22日はちょうど学校があってブログが書けないので今日書いています。それに今日の朝日新聞には「がんとうつ」について取り上げられていたのもこれを書くきっかけとなったのです。

 うつ症状としてはツマクマの場合まず強い不安症状がでました。最初2月22日にがんであると医大病院のお医者さんらか告げられた時はツマクマも今一つぴんとこなかったようです。

 と言うのもそれほど自覚症状がなかったからです。がんと宣告された時同時にステージ4で手術はできない、後は維持療法ですと医者に言われたのです。

 もともとあまり深刻に物事を考えない明るい性格だったせいもあって、うつ症状が出だしたのは宣告から5ケ月ほどたってからです。最初の抗がん剤が良く効いてがんが小さくなり4月に入院して7月には通院で良くなりました。

 先生もずいぶん抗がん剤が効いていますよと言われたのに逆に退院してすぐ強い不安症状がでました。退院して家に帰るとすぐわけが分からず不安な気持ちになると言います。

 じっとしておれず部屋の中をうろうろしたりしました。いろいろな人に電話して話したりして数日後少し落ち着きました。しかし、雨が降って一日家にいたりするとまたふと不安になったりしました。

 断続的な不安症状がでましたが、抗うつ剤を使用することもなく、11月頃には収まりました。どうして克服したのかは分かりませんが今ある状況を受け入れたのかもしれません。

 おじさんは大学で心理学研究会に入っていたし、教師になっても各種のカウンセリング講座を受講していたので、ツマクマが取り乱しても冷静に見ることができました。

 人は強い不安に襲われると最初強い反応を示しますが次第に慣れてきてそれを受け入れられるようになるものです。

 次の年は息子の結婚式があったりして10月頃までに安定して過ごすことができました。その後抗がん剤の治療も中止となり自宅で残りの時間を過ごすことになりました。

 抗がん剤の投与を中止するということは治療がなくなることなのです。最初それを聞いた時はショックだったようですが、何とか受け入れることができました。

 抗がん剤の副作用もなくなって逆に一時体調も良くなったのです。退院してからは緩和ケアーにかかっていました。退院して3ケ月くらいして、再び不安症状が出てきました。

 今度は不眠も伴っていました。それで緩和ケアーの先生が心療内科を紹介してくれて、同じ院内にある心療内科にかかりました。今度は抗うつ剤を出してくれて、先生のカウンセリングを受けると少し収まりました
 
 それを2月くらい続けました。その間月に2回くらい心療内科に通いました。そうこうしているうちにとうとう記憶障害が出て来て入院することになりました。

 記憶障害というのは、自分が病気であるこをすら忘れてしまったのです。入院する数日前のことです。それはそれで良かったのかもしれません。なぜなら、自分が病気であることすら忘れてられるなら死の恐怖を忘れることができるからです。

 ツマクマが幸せだったのは緩和ケアーの担当医はおじさんの教会学校の生徒でしたし自宅療養中の訪問看護の看護師はおじさんの教え子だったのです。

 おじさんの二人の教え子に見守られていたのですからこんな幸せなことはありません。意識が亡くなる直前にっこり笑いました。今でもその写真があります。

 意識がある最後の時ににっこり笑ってくれたのでおじさんはとても安心しました。にっこり笑った3日後になくなりました。最後は鎮痛剤で意識レベルを下げ、次第に呼吸が弱くなって亡くなりました。

 2年5ケ月の看病生活でした。おかげでツマクマが亡くなった時一番肥えて居た時から7キロ痩せました。多分自宅介護も肉体的にもう限界だったと思います。165センチの身長で亡くなる直前は49キロまで体重が落ちました。

 神様は一番ふさわしい時にツマクマは天国に召されたのだと思いました。明日は日曜日なので教会です。