新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

44年回目の結婚記念日ー過ぎにし日々を振り返る

 今日は44回目の結婚記念日です。と言ってもツマクマは去年の夏に亡くなりました。もし生きていたらどこかに美味しいものを食べに行っていたでしょう。

 ツマクマは治療法がなくなって自宅で過ごすようになっても、美味しいものを食べに行っていました。亡くなる3週間前のツマクマの誕生祝いの時も、量こそ少なかったけれど地元で有名な焼き肉店へ行って食事しました。

 元気だった最後の時です。写真を今でもリビングに飾っています。とても3週間後に亡くなるとは思えない元気な顔をしています。

 そもそもおじさんとツマクマは高校の同級生なのです。と言うと高校の時から付き合っていたのかと思われるかもしれませんが、実は高校時代は1回くらいしか話したことはなかったのです。

 おじさんのクラスは2・3年と持ちあがりのメンバーと3年になって新しく入ってきたメンバーといました。おじさんは2年生からの持ちあがりでツマクマは3年からのメンバーだったのです。

 おまけにおじさんは3年の初めからひたすら受験勉強に打ち込んでいたのですが、ツマクマは園芸部で校庭の花壇の手入れをしていました。

 おじさんは市内の公立大学に進学し、ツマクマは県立保母養成所(現在は県立大学になっています。)に進学後保母になっていました。今でこそ保母の希望が少ないことが問題になっていますが、公立保育所の保母は準公務員として結構人気がありました。

 たまたまおじさんの大学とツマクマの保育所が近かったのです。それで偶然おじさんは電車の中でツマクマと会いました。おじさんは気が付かなかったのですが、ツマクマの方から声をかけてきました。

 電車と言っても市内電車です。もし、その後出会うことがなかったら二人は結婚していなかったでしょう。おじさんは今と全く別の道を進んでいたと思います。当時の第一希望は大学院に進学して研究者になることでした。

 事実4年次東京の某キリスト教系の大学院に合格したのです。話は戻りますが、その後何回もツマクマと出会うのです。一度は大学の同級生の女の子と一緒の時にツマクマと電車の中で出会いました。

 ツマクマは連れの女の子には気づかずどんどんおじさんに話しかけるのでちょっとその子と気まずい感じになりました。もちろんその女の子は彼女ではなかったので、それほど問題はなかったのですが。

 その後何となく気があって付き合いだすようになりました。今の話はおじさんが20歳の時のことです。大学3年生でした。(おじさんは早生まれなのです。)

 4年生になって将来のことを考えるようになりました。当時は女性の結婚適齢期は24歳くらいで、25歳を過ぎると行き遅れと言われました。

 それで、結婚する気なら働かなければならないので、大学院に進学せず高校教師になることにしました。24歳で結婚しましたが、おじさんの給料が安く生活できないので、ツマクマもおじさんの住む県と隣接する市で保育士をすることになりました。

 当時高度成長期で保育需要も高く今度は市立保育所で働くことになりました。3年近く共働きをしました。結婚して3年目に長女も生まれ保育所に預けて働きました。

 27歳の時郷里の県立高校に戻ることができました。ツマクマは以前働いていたところの保母に復帰するために採用試験の準備までしたのですが、次女の妊娠が分かってやめました。

 もし採用されたら、4月に採用で6月に産休となったからです。職場に申し訳ないとツマクマは思ったのです。もし、妊娠していなかったら以前の経験もあるのですから(ツマクマは退職時主任でした。)採用されたと思います。

 ツマクマの後輩の保育士はほとんど所長になりました。おじさんが見てもツマクマは保育士として優秀なので、間違いなく所長になったと思います。

 所長にならなかったおかげで専業主婦として楽しく生きられたので、どちらもどちらと思います。ツマクマがもう少し長生きしてくれたら、もっと海外旅行にも行けたのにと思います。

 ただ中国から帰ってすぐ中部ヨーロッパ5ケ国を巡る旅に行ったのでそれだけは良かったと思います。中国ではもちろん結構旅行しました。

 明日は日曜日なので教会です。