新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

JR事故賠償判決に思う。

 ちょっと前のことですが、JRで事故を起こした痴呆症の高齢者の監督責任を問う裁判の判決がありました。このところいろいろ書くことがあったので、今頃になって取り上げています。

 この判決を見た時二つのことを思いました。一つは最高裁も変わってきたなと言うことです。それまで地裁や高裁レベルで決まったリベラルな判決を最高裁でひっくり返していたからです。

 先日の再婚期間に関する違憲判決もそうです。従来最高裁は政権べったり、保守のごりごりと言った印象でした。ところが、今は地裁・高裁レベルよりよほどリベラルになりました。

 もう一つは昔法律を勉強した時に習ったことです。20年くらい前当時法学部の小論文指導をしていたこともあって、週1回だけ近くの私立大学の夜間部に聴講に行ったことがあります。

 おじさんは公務員だし折角だから行政法を学ぼうと思ったのです。最初思ったのは来てよかったということです。おじさんは文学部の国文科の出身です。

 ですから、言葉を辞書的に解釈していたのです。どこの業界でも独特な表現があります。世間一般で使われていても違った定義をすることがあるのです。

 法学部出身の方なら皆常識なことも、他学部出身の人間にはちんぷんかんぷんなことがありました。例えば事実行為と法律行為の違いはなんですか。とか免許と許可の違いとかです。

 先生が散歩するのは事実行為ですか法律行為ですかと言われた時はびっくりしました。もちろん、答えは事実行為です。

 行政警察司法警察などと言ったことも全く意味不明でした。まあ講義を聞いたので理解できましたが。法学部の授業の時は頭を法学モードに切り替えていました。

 本題に入りますが、法あるいは法の運用は常識が元になっていると聞いたのです。続けて先生は、もし常識から外れた法を作ったり運用したりしたら、国民が法を信用しなくなると言うのです。

 今回の最高裁の判決は法が常識の上に成り立っていることをよく示しています。事実をどう判断するかは裁判官の自由心証ですが、常識からはずれたものであってはならないと思います。

 おじさんは時々もし生まれ変わったらと思うことがあります。次の人生では法律職(裁判官か行政職)あるいは医者になりたいと思っています。

 医者も以前は法医学など面白いと思っていましたが、今は小児科の医者です。孫を見ているととてもかわいいです。こんな子供を救えったらと思います。

 多分生まれ変わったら、生前のことは覚えてなくて、また教師になるとは思います。明日は大学のサークルの同窓会です。ブログはお休みです。