サラの死と埋葬
今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。長老(役員)の数が減少したので、司式の回数が増えています。司式とは礼拝の司会です。
長老の減少は長老の一人が亡くなり、一人は病気で司式ができず、一人は欠員です。長老の定員は6人なのですが、今実働しているのは3人だけです。
それで今日司式して第4週も司式です。さて、今日のタイトルのサラというのは、アブラハムの奥さんです。先週書いたイサクのお母さんです。
そのサラが亡くなったのです。聖書箇所でいえば、創世記23章1節以下です。実はこの箇所はとても思い出深い箇所なのです。
13年くらい前大学院に在学中道徳教育に関する講義を受けました。内容は忘れたのですが、先生が論語や聖書の箇所を抜き出した資料を講義で使っていました。
そして、それらを学生に朗読させていたのです。その中に今日取り上げた聖書箇所もありました。どうせなら、この箇所の朗読が当たったらいいのにと思っていました。
そして運の良いことにこの箇所が当たったのです。旧約聖書の地名や人名は読みなれないとスラスラ読めないものです。おじさんはもちろんこの箇所を知っていたので、すらすら読んで行ったのです。
ところが、普通どこかで読むのを交代するはずなのに、いつまで経っても交代の声がかかりません。結局1節~20節まで全部一人で読みました。
先生が後で「余りにすらすら読むのでつい全部読んでもらったのです」と仰いました。講義のレポートは講義で思ったことを書きなさいなので、この箇所について書きました。
今銀が1グラマいくらかしりませんが、銀を4,5キロと言えば今のお金で数百万円ということになるでしょう。アブラハムはいい値を値切ることもなく、支払います。
ツマクマは教会墓地で他の教会員の方と眠っています。おじさんも死ねばそこに葬られます。キリスト教では天が故郷で人間は一時この世で寄留の生活をしているのです。
この世の生活が終われば故郷に帰るというのが信仰なのです。とても良い考えだと思います。おじさんも間もなく終活をしなければなりませんが、信仰をもっていることは一つの救いです。
明日は映画に行きます。映画を見ての感想は後日。