新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

二つの大震災の思い出―阪神淡路大震災と東北大震災

 今日は3月11日なので、大震災について書きます。二つの大震災と言えば阪神淡路大震災と東北大震災です。阪神淡路大震災の日はちょうど修学旅行の日でした。

 新幹線で名古屋まで行くので、駅に修学旅行団を教頭と見送りに行っていました。見送りと言うのは、出発直前になって何かあった時すぐ学校へ連絡するための役割があったのです。

 駅につくと、新幹線が動いていないのです。そして地震で新幹線が止まっていると言うのです。どうせすぐ復旧するだろうと思っていたら、何とこれが阪神淡路大震災だったのです。

 それに気づいたのは駅のテレビを見た時でした。黒煙を上げて神戸の町が燃えていました。これはただ事ではないと思いました。ところが、駅からは何の連絡もないし、おじさんもどうしようもなかったのです。

 教頭は若手でおまけに教育委員会で出世した人だったので、こんな緊急事態の対応の経験がありませんでした。右往左往して学校に何の連絡もしなかったので、学校から逆に人が派遣されてきました。

 修学旅行の行き先は信州でした。それで、飛行機で一旦東京に出てそれから新潟経由で信州に入ることができると言う提案が旅行社からありました。しかし、校長はこんな大変な時期に修学旅行というわけにはいかないだろうと言うので結局中止になりました。

 今回の東北大震災の時は中国にいました。ちょうど授業があって、夕方マンションに帰ると日本が大変だとツマクマが言うのです。それでテレビを入れてみると中国のテレビ局が大震災の報道をしていました。

 その次の日も延々と日本の大震災の番組がありました。細かい情報が分からなかったのですが、ツマクマが領事館の人から日本語の新聞を借りて来てくれました。

 ツマクマは領事館の人の部屋でNHKのニュースを見たそうです。中国テレビより何倍も切迫感があって、鳥肌がたったと言っていました。

 おじさんは日本語の新聞(日経の中国バージョン)を見て被害の深刻さを知りました。大学の方でも、本来は年度途中に帰国はできないのだけど、こんな緊急時なので、特別に帰国を許可しますと連絡してきました。

 その頃いた先生たちは皆西日本の人だったので、帰国した人はありませんでした。

 おじさんの大学は中国西南部なので、以前四川省での大地震の経験がありました。おじさんの大学も大きく揺れて地震のない地方から来た学生さんはパニックになったそうです。

 おじさんの教え子の中には四川省出身で四川大地震に会い、東京にいたので東北大震災に会いと2度の大震災を経験した人もいました。

 日本に帰ってきてから、被害の大きさを実感したものです。明日はのんびり過ごします。