ある結婚ー「イサクとリべカ」
日曜日なので恒例の教会ネタです。以前から書いているように、教会の礼拝説教は連続して創世記を扱っています。来週はイースターの前なので新約聖書に戻ります。
1節~67節まであります。アブラハムは息子の結婚相手を探す役割を最も信頼している年寄りの僕(しもべ・・召使)に命じます。この僕がどれくらい信頼されているかと言うと「家の全財産を任せて」いるほどなのです。
息子の嫁は今住んでいる地元からでなく、自分の一族のいる故郷から探すように命じるのです。今いる地元はアブラハムにとって異教徒の地だったのです。
僕に対して間違いなく自分の命令を聞くように誓わせるのですが、そのやり方は現在では考えられないやりかたです。「手をわたしの腿(もも)の間に入れて、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい」と言うのです。
腿に手を入れて誓うと言うのもおもしろいですね。僕はその通りにして誓うのです。さて僕は目的の町に行きます。そして目的の彼女を見つけるために祈ります。
この通りした女をイサクのお嫁さんに選ぼうというのです。それは町の井戸で自分が水を飲ませてくださいと言った時、どうぞ飲んでください、らくだにも飲ませましょうと言った娘を選ぼうとしたのです。
一言で言えば気配りのできる娘また見知らぬ人にも親切にしてくれる娘を選ぼうとしたのです。水を飲ませて下さいと言った時どうぞと言う娘は多いでしょう。しかし、それ以上何も言わないのが普通です。
リべカに僕は贈り物をします。金の腕輪は分かるのですが、金の鼻輪を贈ったというのはおもしろいです。古代イスラエルの人は腕輪だけでなく鼻輪もしていたのです。
こうして僕はイサクのお嫁さんを見つけてお嫁さんと一緒にアブラハムのもとtに帰ります。帰る途中でリべカはイサクに会います。
イサクは「リべカを愛して亡くなった母に代わる慰めを得た」という記述でこの章は終わります。イサクはお母さん子だったようです。
次はイサクの子ヤコブの話に移っていきます。明日は今の学校の最終授業です。試験も終わったし授業が成り立つか心配です。
4月からはおじさんの町の学校で教えることになります。というわけで明日は忙しいのでブログはお休みです。