新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

「考古学講演会」に行ってきました。方相氏ってご存じ。

 昨日は次女が忙しいので留守番に行ってきました。そんなわけで、ブログをお休みしました。さて今日は木曜日の新聞で考古学講演会があるのを知って聞きに行きました。

 朝次女の家から高速で帰って、昼食を済ませて講演会ととても忙しかったです。地元で発掘された遺跡の意義についてです。

 実はこの遺跡は国有地から出たのです。ところが、市の方が遺跡公園になったら管理はするが、市の予算で購入することはできないと言うのです。

 結局民間企業が買い取ったのですが、地元では市に民間企業から買い戻して市が公園をつくるよう要望しているのです。そして、そのことを広く知ってもらうため講演会を開いたのです。

 講演者は東大の先生で、地元の大学の先生や愛媛大学の先生まで応援に駆けつけてくれました。講演者の話は分かりやすくとても面白かったです。

 その遺跡のあるあたりは昔大学に通っていた頃通っていたところなので、土地勘もあるのです。その遺跡の重要性は二つの石棺なのです。それは、二人の子供の石棺なのです。そして、その棺の中にタイトルで書いた方相氏が描かれていたのです。

 ところで方相氏という聞きなれない名前の人物ですが、実は節分の豆まきと関係するのです。節分は遠く中国から来た行事で、悪いものに本来は五穀を投げて追い払うというものです。その悪い鬼を退治するのが方相氏なのです。

 大正頃この方相氏にちなんだお祭りが京都の吉田神社で行われているそうです。出てきた遺跡は弥生時代のもので、そこは玉造をする工房があったようです。

 その集落の長にあたる人の子供(4歳くらい)が葬られていたようです。その棺の中には方相氏が描かれ朱がまかれていたようです。それも中国から来たもののようです。

 あたかも壁画の方相氏が子供達を守っているようであったと言います。近くには最近国の重要文化財に指定された銅矛もでたそうです。

 銅矛は普段は首長の家の床の下に埋めれていて、お祭りの際掘り出されたようです。この遺跡と今日話を聞いた遺跡とは同じ勢力圏内にあたるそうです。

 市としては、結構なお金のかかる遺跡保存をしたくなかったのでしょう。しかし、遺跡を守る会だけの力で東京から東大の教授を招くというのは難しかったと思います。

 多分ほとんど手弁当で講演に来てくれたと思います。手弁当で来てくれるほどその遺跡は価値があるのだと思います。考古学の講演会なのに、500人くらいの人がきていました。

 さすがに若い人は少なかったのですが、皆熱心に聞いていました。遺跡が保存されたらいいのにと思いました。明日はイースター(復活祭)です。司式の担当です。今年から礼拝が終わった後愛餐会(昼食会)をします。

 明日はイースター礼拝の他に洗礼式もあります。