新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

勤務先の学校の入学式に行ってきました。-人は石垣人は城

 昨日予告したように今日は勤務先の専門学校の入学式でした。今日行った学校は4月から新しく勤務する学校です。身分は非常勤講師です。定年になってから半年の再任用教師、3年の中国国立大学教師、2年の特殊法人立の専門学校、半年の県庁所在地の専門学校、今回の専門学校と転職を繰り返してきました。

 タイトルに書いた言葉は有名な武田信玄の言葉です。組織にとって人は何よりも大事だということです。定年後いろいろなところに勤務してそれを感じました。

 定年後の勤務先で一番大事にしてくれたのが中国の国立大学です。教師にとって勤務先の良し悪しの判断基準はいろいろあります。

 もちろん一番は報酬、次が学生さんの質、最後に勤務先での取り扱いです。中国の大学は国立ですから、国が招へいした形です。そのため、地方政府主催のレセプション(各国領事館の領事などが出席)に出たり、学部(中国では学院)主催の旅行があって、その上毎年数百元(7000円くらい)昇給しました。

 ここでの扱いは最高でしたが、何と言っても外国それも共産圏なので緊張の度合いが並でありませんでした。次の特殊法人立の専門学校は報酬と学生さんの質はぴか一でした。

 もちろん中国の国立大学の学生さんはそれ以上です。今一番弟子は日本の某国立大学大学院の博士課程にいて、学会でも発表しています。日本人でも大変な平家物語太平記における研究をしています。

 それでも、特殊法人立の専門学校の学生さんは優秀でした。報酬も大学の非常勤講師並でこれまで働いた中で最高でした。ただ学校での扱かいがひどいです。

 一番驚いたのはその学校の常勤の先生と1年間に2回しか顔合わせしなかったことです。残りは全部メールです。先生の研究室に行ったこともありません。

 県庁所在地の専門学校が最悪でした。報酬・学生さんの質・学校での扱いのすべてが最悪でした。特殊法人立の専門学校では非常勤講師室には講師用の共用ロッカーとか湯茶(コーヒーなど)がありました。

 県庁所在地の専門学校はロッカーもなく棚に適当に本やプリントを置き、湯茶の準備もないし学内に自販機もないので、飲み物を買い忘れたら、数時間何も飲めませんでした。

 報酬もこれまでで最低、学生さんは詰め込めるだけ詰め込んでいるようでした。例えると規模拡大で稼ぐ中小企業感覚です。新聞広告やバスに広告を出し、校舎をさらに新築しています。外国人中心なので700人規模です。

 人の出入りも激しくおじさんが9月に採用された後も五月雨的に採用があったようです。今度の学校では留学生に日本語を教えます。入学式での留学生の態度を見ても前任校と大違いです。講師個別のロッカーも用意されていました。入学式では非常勤講師も新入生の挨拶しました。

 授業は19日(火)からです。前期は8月初旬まで授業があって、10月から後期です。北欧旅行は7月下旬だったので、ちょっと無理なので、8月にあるシルクロードの旅行に行こうかと思っています。

 来週中に初回の授業準備とシラバス(年間授業計画)を作らなければなりません。明日は日曜日なので教会です。