新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

イサクについてー地味だけど神に祝福される。

 今日は日曜日なので恒例の教会ネタです。今日は今日の礼拝説教からです。イサクについての話です。イサクの父アブラハムキリスト教ユダヤ教の祖の一人とでも言う人です。

 旧約聖書の創世記の中でも結構ページを割いて記述されています。イサクは最初の妻サラの子供です。サラとアブラハムが高齢になってできた子供です。

 アブラハムは勇敢な族長で、以前アブラハムの甥のロトという人が戦いで一族もろとも捕虜になった時、「アブラハムは親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百八十人を招集し」、「夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い」ます。

 そしてロトの一族を救い出すのです。

 父アブラハムは軍事作戦さえできる人でしたが、イサクは井戸をめぐる争いで妥協的な態度を取ります。中近東の砂漠地帯では井戸は大切なものです。

 特に家畜を飼えって生活している遊牧民にとって豊富に水の湧く井戸は何にも代えがたいものです。日本でも水争いがその昔あったことからも分かります。

 この時代は井戸を沢山掘ったようです。アブラハムの時代に掘られた井戸はイサクを妬む外国人(ぺリシテ人)によってことごとく埋められてしまします。

 イサクの時代になって、井戸を掘りなおすと今度は地元民との間でトラブルになります。争いを好まないイサクはその井戸を地元民に与えます。

 そこでもう一つ井戸を掘りあてるのですがそこでも争いになります。そこでもイサクは地元民に妥協して与えるのです。

 普通であれば、井戸の権利をめぐって戦闘になるところですが、イサクは父と違っておとなしい性格であったと思います。良く隔世遺伝といって、父から子へと性格がつながらず、孫につながることがあります。

 イサクの子のヤコブはそんな感じです。ヤコブは神の使いと組内をしたり、長男をだまして長男の権利を奪ったりするのです。

 イサクは2つの井戸を地元に人に譲りました。しかし、神様はイサクのためにもう一つ井戸を用意します。その井戸を掘り当てた時「争いは起こらなかった」とあります。

 主はその夜イサクの元に現れて彼を祝福するのです。そんな時地方の王と参謀と軍団長がやってきて、イサクとの平和協定を結ぼうと提案するのです。

 イサクは平和主義で来ましたが、イサクが将来大きな勢力になると思った王は事前に平和協定を結ぼうと考えたのでしょう。決して父アブラハムのような軍事行動をしたわけではないのですが、イサクは近隣の勢力からも認められたのでしょう。

 王と参謀と軍団長が帰ったその日にも井戸から水がでるのです。この時代の人にとって井戸を掘りあてるというのは、神の祝福があったと考えたようです

 明日は来週から始まる授業の準備をします。