新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

ミニ同窓会報告ー担任と親友の思い出

 昨日はミニ同窓会でした。去年の秋、近くに住む友人たちとミニ同窓会をしました。一人は隣県に住んでいるのですが、おじさんの県にお子さんたちが住んでいるので、そこに泊まって同窓会に出てくれます。

 今回は秋にミニ同窓会をしたことを担任だった先生に出席者の一人が報告すると、担任の先生もぜひ出たいということで、今回のミニ同窓会になったのです。

 担任の先生は何と御年94才だそうです。教え子が来年古希を迎えるのですから当然かもしれません。担任の先生は旧制専門学校から旧帝大に進学した秀才です。

 戦争で学徒出陣しなければ、京都府立医科大で医者になっていたと言うことです。専門学校で英語を旧帝大で歴史を勉強したので、英語と社会の免許をお持ちでした。

 おじさんが生徒の頃は英語を教えられていました。とても厳しい先生で鬼の○○(○○)は先生の名前)と呼ばれていました。授業中目が会うと指名されるので、授業中ずっと下を向いていました。

 おじさんが高校を卒業した後、おじさんの通う大学の先生になりました。そこでは日本史を教えていますた。高校と大学で教えてもらうことになりました。

 その後先生は学部長までなられて、定年後は私大で教えて72才で引退されたそうです。おじさんの大学は地方と言え公立大学でしたので、学部長をなさった先生は後に勲章をもらわれました。

 今回はおじさんも入れて4人来ました。場所は先生のご自宅の近くの料亭です。来たのは元国立大学の教授になった人、石油会社の課長になった人、中小企業ですが社長になった人です。

 国立大学の教授で終わった人はおじさんの親友です。彼と出会わなかったら今の自分はないと思います。ある時担任の先生が夏休みの補習中に、彼に「お前は一日何時間勉強しているか。」と聞かれて「8時間勉強しています。」と答えたのを覚えています。

 おじさんは5時間は勉強していたのですが、その上を行っていました。おじさんは国語と社会は自信があったのですが、英語はちょとでした。

 彼は英語が得意で、英文学の教授になったのです。高校生の頃、1日英単語を30語近く覚えるように決めて、翌日の登校時そのテストをしようともちかけられたこともありました。

 また下校時目についたものを全部英語で言おうと言われたこともありました。彼の家庭はちょっと複雑だったのです。それでもめげずに頑張っていました。

 時々ぽつりと複雑な家庭のことを話してくれました。おじさんの家も母子家庭だったから、話しやすかったのかもしれません。家はおじさんの家から歩いて5分くらいのところにありました。

 夜中に勉強に飽きると彼の家に行きました。もちろん彼も夜中まで起きてがんばっていました。高校時代本当に勉強したので、大学時代あるいはその後どれだけ勉強しても苦になりませんでした。

 おじさんの苦手な英語や数学の勉強に比べれば好きな科目だけ勉強するのですから何の苦にもなりませんでした。おじさんが一番勉強したのは大学受験の時、次が大学卒業後すぐ大学院を受験しようとしたときです。

 その時は苦手な英語に取り組みました。そのせいもあって見事に大学院に合格しました。でも結局進学せず、大学院に行ったのは30年後のことです。この時は学科試験がなかったので(小論文のみ)勉強はしませんでした。

 思い出深い同窓会でした。今度は秋にミニ同窓会をして、来年古希同窓会を大々的にやるそうです。明日から義母と義妹が来るのでブログを書けないかもしれません。