新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

一年前の出来事ーツマクマとの最後の晩餐

 来月の8日でツマクマが亡くなって1年になります。たった1年ですが、ずいぶん時間が経ったと思います。その間には県庁所在地にある学校に勤務し、今は地元の専門学校で働いています。

 1年前なら想像もできなかったことです。おじさんは子供の頃から記録好きで、ずっと日記をつけていました。結婚してしばらくやめていたのですが、中国に行ってからまた日記をつけ始めました。

 ツマクマも闘病日記をつけていました。病気が分かってから、亡くなる2週間ほど前までです。時々去年の今日は何を思っていたのかと読み返しています。

 もちろん、おじさんも病気が分かってからずっと日記をつけています。今日は日記を見なくても分かる日なのです。実はツマクマは15日が誕生日なのです。

 去年の今日は日曜日で、子供達夫婦が誕生日のお祝いをしてくれたのです。まさかその3週間後に亡くなるとは思いもしませんでした。

 その頃はすでに車いす生活になりました。大腿部ががん性骨折だと言われたからです。去年の1月頃から大腿部が痛いと言っていました。

 そもそも、最初にがんが見つかった時、腰にも転移があると言われていました。しかし、去年の正月くらいまでは、特に痛みもなかったのです。

 それが、去年の2月くらいから歩行困難になりましたが、6月の始めくらいまではつえを突くことで何とか歩けました。

 しかし、その後整形外科の先生から杖で歩くと骨折し大出血する恐れがあるので、車いすにしなさいと言われました。その数日後子供達(長女夫婦と次女に孫)が焼肉に連れて行ってくれたのです。

 誕生祝いなので、いろいろ小道具を準備して場を盛り上げてくれました。行った焼肉屋さんはおじさんの地元から結構離れたところなのです。

 まだ元気だったので、車で30分くらいかかるところまで行きました。さすがにこの頃は食欲が落ちていました。それでも、食事に行くだけの気力はあったのです。

 これが、ツマクマが家族と行った最後の食事会でした。退院するとき医者から余命は3月良くて4ケ月と言われました。11月に退院したのですが、何とか冬を過ごし、春になり初夏まで持ちました。

 5月に診察に行った時主治医の先生から「こんなに元気なのは奇跡です。」と言われました。しかし、6月になると食欲も落ち、少しづつ弱ってきました。

 それでも笑顔でみんなと食事できたのです。今、居間にその時の写真が飾ってあります。本当にうれしそうでした。こんな笑顔はこの時が最後です。

 この後1週間後に転倒して肋骨を折り急速に弱ってきました。この転倒がなくても、ほぼ同じころに意識障害が出たので、やはり寿命が尽きつつあったのだと思います。

 7月9日に教会で仏教の1周忌にあたる、1周年記念会をします。これでひとまず区切りがつきます。教会の場合3回忌に該当するものはなくて、5周年そして次は10周年の記念会となります。

 10周年の記念会の頃にはおじさんも80才近くなりますから、生きて居るかどうか不明です。明日は授業とポステイングの準備です。