新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

我が家のモットー「物より思い出」

 今日は午前中は学校で午後はリハビリと忙しかったです。リハビリの方は担当の先生と話して、6月までで終了する予定です。

 リハビリは5ケ月が1クルーで2月に始めたので6月で終わるのです。何とか左右の腕が動くようになったので、このあたりで切りを付けたいと思っていたのです。

 特に火曜日は午前中授業で、午後からリハビリと一日大変でした。ところで、今日はうれしいことがありました。父の日のメッツセージを次女と孫が送ってきてくれたのです。

 以前行った焼肉屋さんの写真とメッセージカードです。長女は日曜日に炭鉱の島ツアーに連れて行ってくれました。長男は今度予定しているシルクロードツアーの費用を負担してくれます。

 おじさんの実家のモットーは「陰険なことはするな」「時間を守れ」でした。特に時間については厳しく言われました。どんな好きな彼女でも10分以上遅れたら黙って帰れとまで言われたものです。

 おかげで、そのトラウマとして、以前は授業に間に合わなくて焦る夢を見たものです。おじさんが家庭をもってからのモットーは「物より思い出」です。

 物はいつでも手に入ります。若いころ手に入れられなかった高価なオートバイを中高年になって購入する人が多いです。

 しかし、思い出はその時しか作れません。物はいつか消滅します。それに物はどこでも持っていけるものではありません。

 思い出は反対です。永遠に朽ちるものではありません。またどこにでももっていくことができます。大人になって思ったのは、お金より時間の方が貴重だと言うことです。

 お金はどうにでもなりますが、時間はどうにもなりません。子供と遊ぶ時間の代わに子供にお金をやっても、心には響きません。

 おじさんの父親はモーレツサラリーマンだったので、子供と一緒に日曜日出かけるようなことはほとんどありませんでした。おまけにおじさんが小学1年生の時亡くなったので、ほとんど思い出がありません。

 ただ一度町の遊園地にみんなで行った思い出があります。それから60年以上経った今でもその時のことははっきり思い出すことができます。

 遊園地から帰った後映画に行きました。その時の映画の題名まで覚えています。(「0号作戦)結婚して子供が出来た後も思い出つくりをしました。

 上の姉妹の年の離れた弟ができました。5歳だった弟と一緒に姉たちが写った写真が今でもあります。昨日のことのように思い出します。

 長女も次女も40歳を過ぎましたが、昔の思い出話をします。炭鉱の島ツアーに行った時長女が小人の話をお婿さんにしていました。

 次女は小学3年生までおじさんの勤務する高校の裏に小人が住んでいると信じていたのです。小人には高校の先生や生徒さんになってもらいました。小人の手紙と書いてもらったのです。

 小学3年生になって友達にそのことを話したら笑われて気が付いたそうです。40歳になってそんな思い出話ができるのはとても幸せです。

 お金や物も大事ですが、それ以上に思い出が大事だと言う話です。明日も授業です。