新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

1年前の出来事2-ツマクマの記憶障害

 今日は日曜日なので教会でした。以前書いた通り礼拝説教はヨセフ物語です。ヨセフ物語は日本人にはほとんど知られていないので、今日は別のことを書きます。

 以前ツマクマとの最後の晩餐について書きました。ツマクマの最後の時が迫ってきていました。次々に最後のが続きます。最後の晩餐が14日で次の21日の日曜日がツマクマの最後の礼拝出席になりました。

 そして、22日に胸を打って肋骨を骨折してしまいました。ここから急速に体力が落ちていきます。21日にはツマクマの母と弟、それに弟の嫁と会うことができました。

 ツマクマの母親がツマクマの元気な姿を見たのはこれが最後です。さて26日には何があったかというと記憶障害が起こったのです。

 その日はちょうど診察の日でした。朝起きたらツマクマが今日はなぜ病院に行くのかと言うのです。最初はおじさんをからかっているのだと思いました。

 しかし、どうも真面目な態度なのでこれはと思いました。本人は自分が肺がんで緩和ケアーにかかっており、今日がその診察日なのを忘れているのです。

 しかし、この時はしばらくして理解できるようになりました。そもそも病院に行くのは覚えていたのに、その理由が理解できなかったのです。

 先生に話すとそれは肝臓にがんが転移したので、肝臓の毒が脳にまわったのだと仰いました。おじさんは、医療用麻薬を多用したからかと思いました。

 また脳にもがんが転移していたのでそのせいかとも思いました。翌日には朝自分でベッドから降りて転倒しました。この時は畳の上だったので良かったのですが。

 この時も自分ががんで骨に転移し歩けないことを忘れていたのです。おじさんはこれでは家庭介護は無理だと思って入院させようと思ったのですが本人はいやがりました。

 しかし、何とか納得させて7月に入って入院ということになりました。ツマクマからは私を見捨てるのかと言われましたが、もう家庭介護は限界だと思いました。

 その頃おじさんも疲労がピークに達していました。これ以上家庭介護を続けたら共倒れになりそうだったのです。
 
 結局7月2日に入院することになりました。11月に退院して6月ですからよく頑張ったと思います。明日の相場が気になります。明日はのんびり過ごします。