ツマクマの介護をやって思ったこと
今日ヤフーニュースを見て居たら介護殺人について特集していました。介護についてはささやかですが経験があるので今日は取り上げてみました。
おじさんが介護をしたのは2年前の11月から去年の7月までです。実は去年の今日ツマクマが緩和ケアーに入院したのです。今日はツマクマの友人が一周忌に当たるのでお参りに来てくれました。
その友人の方にもずいぶん助けてもらいました。2年前の11月に退院してすぐは本人も元気で家事もできました。ただツマクマは寂しがりやなので、いつも家にいないといけないのは辛かったです。
おかげでツマクマは医療的には安心でした。しかし、経費は結構大変でした。訪問看護の場合1回5千円、訪問医療だと1回1万円です。おじさんとツマクマの年金でそこそこ収入があったので何とかなりました。
その前から食事ヘルパーさんが入るようになりました。これは助かりました。夕食だけですが、週2回作ってもらえるのです。朝食と昼食はおじさんが毎日作りました。
おじさんは母子家庭に育ち子供の頃働く母親にかわって夕食を作っていたので、食事は何とか作れるのです。
6月に入って状態が悪くなると夜でも寝られなくなりました。
それは夜トイレにいつツマクマが行くか分からないのでいつも緊張していました。トイレ以外にも痛みを訴えたり不安を訴えたりするからです。
6月中は一日中気持ちが張り詰めていたと思います。左手が上がらなくなったのも筋肉が一日中緊張して固まってしまっているからだとリハビリの先生から言われました。
介護離職について良く言われますが、おじさんも介護というより看病のため特殊法人立の専門学校をやめました。この専門学校は大学の非常勤講師並の手当が出るうえ学生さんも優秀で続けたかったのです。
体重も激減しました。中国に居た時57キロまであった体重が49キロまで落ちました。6月の終わりに胸を打って怪我をした時、もうこれ以上自宅介護は無理だと思いました。
子供達は別の町に住んでいてそれぞれ仕事もしています。また一人は子供が2人いてお婿さんは単身赴任でした。それで援助を頼むのも難しかったのです。
ツマクマの場合最後にちょとだけ記憶障害がでましたが、痴ほうはなかったのでそれは助かりました。半年ちょっと介護をしましたがとにかく大変でした。
一日だけ病院に泊まった長男は、これは大変だお父さんの苦労が分かったと言っていました。自宅で死ぬ1週間前まで過ごせたのでツマクマにとって良かったと思います。
介護のまねごとをやりましたが介護の大変さが良く分かりました。おじさんに介護が必要となったらすぐ老人ホームに入ろうと思っています。子供達に犠牲を強いることはできないからです。
そのため節約して万が一に備えています。明日は日曜日なので教会です。午後は長老会(役員会)があります。