新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

教会学校教師会がありました。「ほうれんそう」はどこでも必要です。

 昨日は孫を預かっていたのでブログはお休みしました。孫は小学3年生です。まもなく、おじさんとは余り口をかいかなくなるでしょう。

 それまで精一杯お世話をするつもりです。教会では毎週礼拝後に行事があります。第一週は長老会(役員会)・第二週は壮年会・第三週は教師会・第四週は全員祈祷会です。

 教師会と言うのは学校の職員会議にあたるものです。どの組織でも「ほうれんそう」つまり報告・連絡・相談は必要です。

 教会学校のような小さな組織でも同様です。おじさんの教会の組織は幼小科と中高科です。幼小科では幼稚園から小学生、中高科は中学生と高校生です。

 今はそれぞれ在籍者は10人程度で毎回の出席はそれぞれ3人くらいです。第二次ベビーブームのころは中高科だけで20人くらい出席していました。

 ほとんどがキリスト教主義の学校の生徒です。その時代は義務出席だったのです。授業の一環として扱われていました。それで毎回出席カードにハンコを押していました。生徒はそれを月曜日に学校に提出するのです。

 今はそんな制度はありません。それでもキリスト教主義学校の生徒さんが来ます。教師会では大きな行事について話合いや報告があります。

 今日は夏期学校についてです。以前はおじさんの別荘でやったこともありました。今は教会で半日程度やるだけです。

 後はクリスマス会が大きな行事です。前後3月ほど話し合います。前述したのは幼小科です。中高科は新入生歓迎遠足くらいが大きな行事です。

 以前は花の日に老人ホームの慰問などやっていました。おじさんが教会学校の教師に初めてなったのは大学2年生の時でした。

 その前の大学1年の秋ごろ初めて家庭教師をしました。その時から先生と呼ばれるようになりました。教会学校も学校ですから担当者は先生と呼ばれます。

 教会学校の生徒さんがおじさんの家に来ておじさんの兄に「先生いますか」と聞いたそうです。兄は一瞬だれのことだろうと思ったそうです。

 そしてああおじさんのことだと思ったそうです。おじさんの一族で教師になったのはおじさん一人です。その時以来50年間先生と呼ばれ続けてきました。

 もちろん、19歳で先生と呼ばれた時から本当の教師になるつもりだったのです。69才になる今でも先生をやっています。教師を辞めたいと思ったことは一度もありません。

 もちろんいろいろな教師をしました。教会学校の先生・塾の先生・家庭教師の先生・県立高校の先生・t中国の大学の先生・専門学校の先生などです。

 いろいろなことを教えましたが、おじさんには教える仕事が天職なのでしょう。先生という職を選んで本当に良かったと思います。

 明日はのんびり過ごします。