新おじさん教師のひとりごと

長年高校教師をした後、中国の大学で日本語を教え、3年間過ごして帰国しました。今は引退して年金生活です。個人的な意見を書いています。

シルクロードツアー報告2-敦煌の災厄

 今日は一日庭の整理です。手入れと言うほどでもありません。ところで今日はシルクロードツアー報告の2回目です。観光案内を見れば分かることは書きません。

 見学して分かったことについて書きます。そもそも敦煌莫高窟(ばっこうくつ)は4世紀半ばにある僧が石窟を開いたところから始まります。

 その後元代まで1000年間近く彫り続けられたのです。最盛期には1000ほど石窟があったそうですが、今は492しか残っていません。

 残された石窟も相当ひどい状態になっているのです。それは莫高窟が受けた災厄のせいなのです。最初の災厄はこの地を治めたイスラム教徒のせいです。

 かって中央アジアは仏教が中心でした。だからこそアフガニスタンにも石仏があったのです。タリバンが破壊したバーミヤンの石仏は良く知られています。

 仏教が伝来した後イスラム教が入ってきたのです。イスラム教は一切の偶像を認めないので、この石窟の壁画の顔が消されてしまったのです。また石仏も破壊されました。

 それでも結構な数の壁画や石仏が残ったのですが、次は地元民による盗掘です。厳密には壁画に貼られていた金箔をはぎ取っていったのです。

 そうしているうちに時代は近代へと進みます。洞窟の隠し部屋にあった経典などがある道教の道士によって発見されます。当時ほとんどの人はその価値を知らなかったのですが、この道士だけは価値があると思って専門家に見せました。

 それを知った欧米の研究者がその経典を買い求めさらに、その洞窟にあった経典などを持ち去りました。これがきっかけで、欧米や日本から探検隊が入り壁画などを持ち去りました。

 次は日本では全く知られていませんが、ロシア革命の時赤軍から逃れた帝政ロシア軍(白軍)1万人がこの石窟に住み着いたのです。彼らはロシア正教なので異端と思って壁画や石仏を破壊しました。

 また石窟の中で煮炊きしたので石窟の中が黒くなり壁画などが見えなくなりました。白軍が撤退した後やっと静穏が訪れたかと思ったら最後の災厄がやってきたのです。

 あの文化大革命です。紅衛兵が石窟までやって来壁画や仏像を破壊しました。莫高窟の価値を知っていた当時の首相の周恩来がすぐに軍隊を派遣して莫高窟を守ったので破壊は止まりました。

 こうして21世紀まで壁画や仏像が残ったのです。今回は8つの石窟を見学することができました。莫高窟のことを研究している研究所の研究員の方が説明してくれました。

 もちろん日本語です。この研究員の方もまた別の意味で大変です。そういえば敦煌のホテルでは世界中から莫高窟の専門家が集まってシンポジウムが行われていました。

 災厄の歴史を聞きながらよく災厄を乗り越えて現代まで莫高窟が残ったものだと思いました。残された壁画や仏像の実物を見れたのはとても幸せでした。中国でも大人気で余りに観光客が多いので石窟の状態保持のため一日6千人を限度にしているそうです。

 今は大勢観光客が来ますが11月から2月までの4ケ月はほとんど観光客が来ないそうです。入場料も安くし多くの石窟を見学できるので是非冬場に来てくださいと研究員の方から言われました。

 ただこの地域は冬には雪が降る寒冷地なのでなかなか難しと思います。明日は日曜日なので教会です。